のど元過ぎれば熱さ忘れる…

asahi.com 2006年09月12日00時26分

(…)また、72年の日中国交正常化の際、中国が戦争指導者と一般国民を分けて自国民を説得したことについて「それは中国側の理解かもしれないが、日本側はみんなが理解しているということではない」と述べ、容認しない考えを示した。
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 アジア外交をめぐっては、谷垣氏が「日中国交正常化をした時に、中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国民に説明した経緯があった」と指摘すると、安倍氏は「そんな文書は残っていない。国と国とが国交を正常化するのは、交わした文書がすべてなんだろうと思う」と反論。そうした記述が国交正常化の際の文書に残っていないことを強調した上で「日本国民を二つの層に分けることは、階級史観風ではないか、という議論もある」と批判した。
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「階級史観風ではないか、という議論もある」だって。いったい誰が吹き込んだんだろ? すでに何度も述べてきたが、中国の二分論はアメリカの対日占領政策を支える歴史観東京裁判史観と言ってもいいですよ)と大きく異なるものではない。天皇を免罪し、一般の国民を免罪し(だからアメリカも日本に賠償を請求していない、のみならずアメリカは他の諸国にも賠償請求を放棄するようはたらきかけた)、「一部の軍国主義者」たちに罪を負わせたわけです。
それがフィクション、欺瞞だ、というのはいい。二分論を前提に賠償請求権を放棄したアメリカや中国に対してずいぶんと恩知らずな態度だとは思うけど、法的にいえば日本政府が二分論に拘束される謂れはない、といえばその通りであろう。問題は、二分論を否定するとして、じゃあ「一部の軍国主義者以外にも責任はある」へと進むのか、「一部の軍国主義者も免罪しろ」へと進むのか、である。