『特務機関の謀略』

吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」の一冊、『特務機関の謀略 諜報とインパール作戦』(山本武利著)のタイトル(というか副題)が目について買ってみた。ビルマ・インド方面で謀略活動を行い、チャンドラ・ボースと日本との連絡・調整役をも務めた「光機関」に焦点を当てた研究。個々には興味深い点も多々あるのだが(例えば英軍の捕虜となった日本軍下級将校の、上層部への呪詛に満ちた陳述書の引用など)、一冊の本としてみたばあいに「焦点がうまくあっていない」という印象を受ける。素人なりの印象では、光機関の活動をインパール作戦との関わりを軸として記述するより、むしろ「大東亜戦争」という(日本の主観にとっても)本音と単なる口実が入り混じった戦争というより大きな枠組みのなかに位置づけた方がよかったのではないだろうか。

冒頭まず連合軍による日本陸軍の暗号解読作戦が紹介される。連合国によって日本の暗号が解読されていた…というはなしとしては外務省の暗号(真珠湾に絡んで)とか海軍の暗号(ミッドウェーや山本五十六戦死に絡んで)などがよく語られるわけだが、陸軍の暗号はなかなか解読が進まなかったこともあってあまり語られることはないように思われる。本書によれば44年1月に陸軍の暗号の本流システムが解読され、インパール作戦についても事前に相当程度の情報を英軍はつかんでいた。これがインパール作戦失敗の大きな要因になっているのは当然なのだが、著者によれば日本側にも「ウルトラC」がなかったわけではないという。具体的には 1) 第15軍がボースやインド国民軍を信頼してもっと有効に活用していれば、また 2) イギリス軍の防備が間に合わなかったディマプールまでしゃにむに進軍していれば、事態は大きく違っていたはずだというのである。「日本軍のウルトラCはボースと国民軍の活用であった」(213頁) これは、とかく牟田口司令官の個性、ないし牟田口と河辺司令官との関係性を中心として語られがちなインパール作戦に関して新たな見方を提供してくれる視点ではあると思うが、「ではなぜ、日本軍はボースと国民軍を有効に活用できなかったのか?」を問うならば、単に第15軍の問題というよりは「大東亜戦争」という看板の内実、ひいては当時の日本のアジア認識の問題が浮かび上がってくる。連合軍は日本軍の謀略について部分的には高い評価を与えながらも、インドやビルマの諸民族をよく理解していない、とみていた。これは当時の日本人が(そして少なからず今日においても)「同じアジア人だから」というだけの理由で「我々は彼らを理解しているし、彼らも我々を理解してくれるはずだ」と無根拠に思い込んでいたことを意味していると思われる。英軍将校が作成したリポート曰く。

(…)
一、日本人はインド兵とくにグルカ兵の心理を理解していないようだ。かれらを捕虜にしたとき、相手を殴ってから、ジフ〔 Japanese Inspired Fifth Columnists、日本軍寄りの第五列を意味する〕の軍隊に参加させようとするが、かれらの受けた心の傷を和らげようとしない。(…)
二、最大のまちがいの一つは、インド人の宗教的なためらいへの干渉であった。かれらが食べることのできる物を与えようとせず、同じ物を与え、それを食べようが、食べられなくて死のうが無関心である。(…)
(…)

ひとことで言えば、日本は「帝国」のまねごとをしようとして「帝国」になり切れなかった、ということだろうか。もちろん、「立派な」帝国になっていたらよかった…とは言えないのが歴史の複雑さではあるのだが。


追記:はてなブックマークより。

2007年02月18日 REV 良くも悪くも(いや、悪くも悪くも)他人には他人の都合がある、ということを理解しないのが日本風。知って理解して利用するのがアングロサクソン風。

最後の段落で言わんとしていたことを的確に表現していただきました。特に「良くも悪くも(いや、悪くも悪くも)」という表現は絶妙ではないでしょうか。単に「悪い」と言いがたいのはもちろん「知って理解して利用する」のがいいからとは言い切れないからで。とはいえ相手を利用しきれないがゆえに「帝国」が比較的短期間で崩壊したことを「良い」とも言い切れない。やり方が拙劣だったために短期間にしては被害を大きくして恨みを買う結果になったから。「他人には他人の都合がある、ということを理解しない」という悪癖は現在の日本にとっても他人事ではないような。その点欧米列強が「理解」しようとしたときの並々ならぬ努力は侮れない。文化人類学なんて「知って理解して利用する」ために成立したと言っても過言じゃありませんし。もっとも、かつては短期間に日本という「敵」をあれだけ研究したアメリカも、その後はヴェトナムや中東で無知ゆえの過ちを犯してはいますが。