『盗聴 二・二六事件』と日本政府の無作為

『盗聴 二・二六事件』(文藝春秋)の著者中田整一は元NHKプロデューサー。1979年放送の「戒厳指令『通信ヲ傍受セヨ』 二・二六事件秘録」、88年放送の「二・二六事件 消された真実―陸軍軍法会議秘録」の制作に関わる。前者はNHK取材班名義で『戒厳指令「通信ヲ傍受セヨ」―二・二六事件秘録―』として書籍化もされており、少し前まで行きつけの古書店にあったのだが買いそびれているうちに売れてしまい、後悔していたところその後の取材も盛り込んだ本書が刊行された。考えてみれば昨年2006年は二・二六事件の70周年にあたる。

叛乱部隊の将校たちの電話が盗聴されていたのみならず、当時試作段階にあった録音機によって録音されてもおり、その一部がNHKアーカイブで発見されたことに端を発する取材と、鎮圧後の軍法会議に関わった軍法務官匂坂春平が残した捜査記録の発見に端を発する取材(澤地久枝の『雪はよごれていた』に詳しい)によって、事件の背後にうごめく軍高官たちの策動が浮かび上がってくる。また匂坂資料からは盗聴が事件のはるか前から始められていたことがわかる。統制派は青年将校たちによるクーデター計画を承知しつつ、それを利用してカウンター・クーデターを起こすべく手ぐすね引いていたわけである。

現在、高校の歴史教科書に二・二六事件がどのように記載されているのかは承知していない。Wikipediaの記述などを見ると上述したような事情もそれなりに盛り込まれていることがわかるが、私の高校時代の教科書の記述は“政治腐敗や農村の疲弊に憤った青年将校たちが起こしたクーデーター未遂事件”といった程度の記述だったように記憶している(今日でもしばしば用いられる「青年将校」というフレーズが前提としている、事件についての原型的なイメージ)。

この事件がその後の歴史の流れに及ぼしたインパクトを考えても、犠牲者の数を考えても、「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ」と教えてきた旧軍が抱え込んだパラドックスを露呈させたという意味でも、特筆すべき事件であることは間違いない(秦郁彦が「二・二六産業」と表現するほどの関心の高さは、多分に赤穂浪士に対するそれと根っこを共有しているような印象を受けるが)。だが考えてみると、戦後日本政府はこの事件の真相を明らかにするための主体的な努力をなに一つしていないといって過言ではないのである。本書が紹介している録音盤にせよ、匂坂資料にせよ、個人がたまたま自宅に持ち帰っていたものが戦火を免れ、たまたまみつかったに過ぎないのである。

こうした事情は二・二六事件に限らない。南京事件731部隊についても同様だし、こちらのエントリのコメント欄でskywave1493さんからも指摘があったように従軍慰安婦問題についても同様である。これでは、軍国主義や旧軍の戦争犯罪についての認識が東京裁判の事実認定によって大きく規定されてしまうのはむしろ当然ともいえよう(もちろん、左派を含む研究者は資料の不足に悩みながらもより正確な認識に到達すべく努力してきたわけであるが)。考えてみればこれはとんでもないことである。内外にあれだけの犠牲者を出した戦争について、日本という国家は主体的に振り返るということをしてこなかったわけである。もしこの不作為が「東京裁判の事実認定には一切異議を唱えない」という日本政府の意思によるものでありまたその旨が明言されている、というのであればまだいいのだが、どうもそういう殊勝な理由だとは思えない。