証拠を隠滅した側に与するものが信じてもらうための条件

旧軍、および日本政府が敗戦時に大量の文書を組織的に焼却したことは周知の事実。また、日本政府が公文書の公開という点で優等生でないのも周知の事実。したがって、なるほど「証拠がないからなかったとは言えない」とは言えても「証拠はないがそれは焼却されたからに違いない」とは言えないにせよ、証拠隠滅した者たちを弁護しようとする人間が「ほらないだろ?」と威張ってみせたからといって国際社会の理解が得られるはずもない。
もちろん、焼かれてしまった文書を復活させろといった無茶は要求できないにしても、少なくとも次の二つの条件は満たすのでなければ、「ほらないだろ?」は証拠隠滅にあぐらをかいた居直りとしか言えまい。

  1. とにかく現存している文書は徹底的に公開する。政府が保有しているものはもちろん、研究機関が所蔵しているもの、また旧軍関係者、政府関係者やその遺族が指摘に保有しているもの、古書店などに眠っているものなども含め、きちんと政府が予算をつけて発掘・公開する。十五年戦争期に関する資料に限り、いかなる例外も認めずに公開する。宮内庁に眠る文書も例外ではない。腐れサヨクが「よくもまあこんなものまで」と感心せざるをえないほど公開する。生存者への聞き取り調査ももちろん行なう(もっとも、敗戦時20才だったひとでもすでに80歳を超えているわけで、政府や軍の中枢にいた人々への聞き取り調査はもはや不可能に近いが)。
  2. 現存する文書に照らして、「あるはずなのにないもの」と「あるはずがないからないもの」の区別について万人を(とまでは言わないにしても大方を)納得させる説明を行なう。軍法会議で処罰されたはず、などと憶測を述べるのではなく、資料に基づいて「これこのように処罰されました」と明らかにする。