今月の雑誌より

実は私はいわゆる論壇誌というやつを含めて雑誌をあまり読まない単行本趣味なのだが、今日は珍しく3冊まとめ買い。
『世界』8月号はさすがに「盧溝橋事件70年――日中戦争の記憶とどう向き合うか」という特集を組んでいる。掲載されている関連記事は以下の通り。

  • インタビュー 「歴史認識の共有のために何が求められているか――日中歴史共同研究の意義と課題」 歩平
  • 新連載 「虜囚の記憶を贈る 第1回――中原からさらわれた少年」  野田正彰
  • 日中戦争の新視角 「海軍が拡大させた日中戦争――空爆戦争の淵源」 笠原十九司
  • 空襲被害者座談会 「連帯して「戦略爆撃の思想」に抗う――重慶・東京 両被害者の交流と協同」 徐長福、安藤健志、前田哲男土屋公献、一瀬敬一郎
  • 瀋陽裁判の深層 「「改造」と「認罪」、その起源と展開」 丸川哲史
  • 歴史の証言 「近衛文麿を震撼させた反戦の呼び声――日本人反戦同盟のたたかい」 前田光繁、小林寛澄、姫田光義
  • 座談会 「戦後責任運動のこれから」 金子美晴、菅野園子、野平晋作
  • エッセイ 「一大重罪<歴史の偽造>」 大西巨人

岩波書店のHPにある目次はこちら。とりあえず最初の3本に目を通した。笠原論文は『日中全面戦争と海軍―パナイ号事件の真相』などを下敷きにしたものだが、新刊書店ではどこにでも在庫しているというわけではないこの本の骨子を知るにはうってつけ。海軍による渡洋爆撃がすでに前年から準備されていたという事実は、日中戦争勃発についての理解を深めるうえで重要だろう。
野田連載の第一回はいわゆる「労工」として中国から日本に拉致された被害者の一人、拉致当時14歳だった李良傑氏からの聞き取り。敗戦直後の外務省による調査でも約4万人が日本へ送られ(不明者の扱いによって数字は変わってくるが)およそ6人に1人が死亡したとされている。外務省調査の目的が戦犯裁判対策だったことを考えれば、実態はさらにひどかったと考えるべきであろう。

続いて『中央公論』8月号。先日刊行された『母宮貞明皇后とその時代』(工藤美代子、中央公論新社)の宣伝も兼ねてということだろうが、「三笠宮終戦秘話を語る」と題し、三笠宮夫妻へのインタビューから敗戦前後の事情に関する部分を紹介している。昭和天皇の戦争責任について論じるにあたっては「ドイツ帝国をモデルとした大日本帝国憲法のたてまえ」と「西園寺公望がアドバイスした(…)イギリス的立憲君主制」との「矛盾にどう対処したかの研究が不可欠」だと三笠宮が述べている、とのことだが、具体的にどのようないい方をしているのか、気になるところである。

もうひとつ、「特集 本で知る世界の戦争のすべて」は加藤陽子戸部良一、一ノ瀬俊也ら11人がそれぞれのテーマに即して10冊の「必読書」をあげる、という企画。最近ちょくちょくテレビで見かける村田晃嗣が『八月十五日の神話』(佐藤卓己ちくま新書)について「メディア史の観点から、ポツダム宣言正式受諾の八月十四日でも、降伏文書調印の九月二日でもなく、なぜ「玉音」放送の八月十五日が終戦記念日として国際的に定着していったのかを分析している」(強調引用者)と紹介しているのを読んで、目を疑ってしまった。「国際関係論」を専門とする研究者なら日本以外ではまさに「ポツダム宣言正式受諾の八月十四日」か「降伏文書調印の九月二日」が終戦の日とされるのが一般的だというのは心得ていてしかるべきだということもあるが、なにより『8月15日の神話』は「終戦の“世界標準”からすれば、(…)ポツダム宣言を受諾した八月十四日か、降伏文書に調印した九月二日が終戦の日である」(カバー見返しのコピーより)にもかかわらず、日本人はなぜ8月15日を終戦の日として記憶しているのか? という問題意識で書かれているからである(そのことはタイトルからも想像がつくと思うが…)。ある種の書き間違いとして理解しえないことはないものの、重大な誤記だ。まあ、『八月十五日の神話』を読めばまちがいに気づくわけだが。

さて、これに対して特に「8月号」を意識した編集になっていないのが『月刊現代』。立花隆の「私の護憲論」が掲載されてはいるが、これは7月号の第1弾をうけての第2弾。2005年(敗戦60年)の8月号では一応「特集 靖国再考&戦後 60年企画」という特集を組んでいるのだが。まあ問題意識もなしに惰性で特集を組まれても面白いものにはなりそうにないとはいえ、ちょっと意外。