『サイゾー』9月号がひどい

第1特集は「新しい日本のタブー」と題されているのだが、そのうちの一つが「「従軍慰安婦」と「南京大虐殺」のミスリード」。担当は大崎量平という人物。だが内容はというと、否定派の主張としてもかなり稚拙で、頼まれ仕事感が漂う。だいたい、どちらの問題についても否定派の本が堂々と書店に並んでいるのに「タブー」もへったくれもないだろ? 以下、順にみていこう。
記事によれば、従軍慰安婦問題の「争点」とは次のようなものだそうだ。

 まず「従軍慰安婦問題」の争点とされているのは、「“従軍”慰安婦は、はたして存在したのか?」ということ。

まさか「従軍慰安婦という言葉は当時存在しなかった」といいだすのかと思ったら、ひきあいに出されているのは金学順さんの証言についての西岡力教授(東京基督教大)のコメント。要するに彼女は「強制連行」されたわけではなく親に“売られた”のだ、と。

 「(…)
 つまり、彼女は、一言も日本軍による関与を口にしていない。にもかかわらず、朝日新聞は金さんが“キーセン”に売られていた過去には一切触れずに、あたかも権力による強制連行によって慰安婦にさせられたかのような表現・論調をつづけました」(前出の西岡氏)という。

これ、慰安婦問題の「争点」を「(軍による)強制連行の有無」としておけば(その争点設定のまちがいは別として)それなりに朝日叩きとしては首尾一貫したものになるわけだが、争点が「日本軍の関与」の有無、慰安婦が「従軍慰安婦」と呼ばれて不思議ではない存在だったのかどうかということになると、まるきり的外れなコメントとなる。というのも、募集段階での強制連行を否定できたからといって「日本軍の関与」を否定できるわけではないし、逆に慰安所が「野戦酒保規程」に根拠をもつ兵站施設であり、その設置、管理に軍が主体的に関わっていたことは異論の余地なく明らかになっている。ということで、せっかく「争点」についてはおおむね正しく設定しながら、的外れな反論コメントを引っ張ってきてしまったわけだ。あげくに、「朝日新聞を中心とした、強制連行肯定派の重要な根拠になっているのが、先の戦争に参加した吉田清治氏の証言である」とカビの生えたような記述が続く。90年代半ばで時間の流れが止まってしまったらしい。


次に南京事件について。

 一方、「南京事件」についてだが、この問題をめぐる議論の争点は、37年12月、日本軍が南京攻略を行った際に、「老若男女30万人を越える一般市民を巻き添えにした大量虐殺があったのか否か」ということ。

だそうだ。これが「争点」だとすると、日本国内では事実上南京事件をめぐる論争なんて存在しないことになってしまう。典型的な否定論の問題設定。コメントは阿羅健一氏で、「中国のプロパガンダ」説や「人口20〜25万」説などおなじみの御説が並んでいる。


それにしても書店で公然と売られている否定本の著者二人にコメントとっておいて「タブー」とは片腹痛いな。


追記:コメント欄でご指摘いただきましたが、この記事、最後がとてつもなくひどいんです。

 本記事では「南京事件」と「従軍慰安婦」のふたつに対する否定論を紹介してきたが、これらの主張に対して、肯定派は明確な反論を行っていない。また、今回の全国各紙による論調*1が追い風となり、否定派による意見・検証結果が我が国の共通認識として広まって行く状況ができあがりつつあるといえるだろう。

呆れてものも言えない。まあ、過度に状況を楽観しているのはご愛嬌というものだが。

*1:米下院での慰安婦問題決議に関して、朝日以外の各紙が「この採択に違和感を唱える論調姿勢を示した」ということを指す。しかし「採択に違和感」を唱えることと慰安婦問題を否認することとのあいだにはどえらい隔たりがあるんだが、そこんところわかってるんだろうか。