時野谷本と坪井流史料分類法

先日から紹介している『家永教科書裁判と南京事件 文部省担当者は証言する』ですが、いやぁ本というのは買ってみるものですなぁ。なにに行き当たるかわかったものじゃない。
bat99さんが紹介しておられる江口圭一、『十五年戦争研究史論』での教科書検定にまつわるエピソード中、次のような記述がある。

編集担当者は、時野谷調査官が『沖縄県史』は体験談を集めたもので一級の資料ではない、書くならちゃんとした学者の研究書を使ってほしいといった趣旨のことを述べ、さらに「検定制度を取りちがえていませんか」といった旨を伝えてきた。

これについて、時野谷本は次のようになっている。

 またこの『沖縄戦記録』の内容について「一級の資料でない」といったことは事実である。但し文字で書けば一級の史〔←原文では一字傍点〕料としたろう。(…)
226ページ)

このあと、文部省が82年度検定結果発表の際に添えたコメントが引用されているのだが、びっくり仰天である。

 なおこの際、一等史料ないし一級史料といった歴史学研究上の専門用語について一言触れておくと、これはその資料の信用度に関する価値判断の標準の問題で、坪井九馬三氏が「史学研究法」の中で史料を「一等史料」から「五等史料」に分け、さらに「等外史料」を設けたことに基づく。(…)
(同所)

そう、東中野修道がラーベ日記を否認する際などになぜかもちだした古くさい分類法がここに登場しているのである! 文部省のコメントとなっているが、引用箇所よりあとでは「沖縄戦記録」について触れているので(というより、この資料の扱いについて釈明するためにこの分類法をもちだしているので)時野谷氏自身が書いたものと考えてほぼ間違いないのではないか。面白いことに、「同氏の試みた等級付にはさまざまな批判があり、今日、これに従う人はいない」としていながら、「一等史料ないし一級史料という用語」だけは今日でも「一番信用できるものという意味で」用いられている、というのである。


この部分についての時野谷本の記述は、「沖縄戦記録」に依拠した教科書の記述案を斥けたことを正当化しつつ、「沖縄戦記録」に記載された証言を否定したという非難を避けようとしているためか、実に奇怪なものとなっている。上述の文部省コメントは「沖縄戦記録」について、それを「一級史料ではない」と言うのは「この記録の価値それ自体を評価するものではない」と釈明している。しかしこれは前段の「一番信用できるものという意味」という説明と矛盾している。そして現に、「一級の史料でない」として「沖縄戦記録」を根拠とした記述の採用を拒否しているのである。さらにこの点につき、著者は「ともかくその〔「沖縄戦記録」の〕コピーは、県史の中の編集された体系的記述である通史からのそれではなかったのである。従って依然として原稿記述を裏付ける資料は提出されたことにはならなかったわけである」(225-226ページ)と説明しているのだが、「沖縄戦記録」が「一級史料ではない」という理由で斥けておきながら「通史に依拠せよ」というのはかなり奇怪なはなしである。通史といっても「史料」に依拠して書かれるのであり、ここで問題になっていた日本軍による住民殺害などの事例については(坪井式での)一級史料が事実上存在しないことは、上で引用した文部省コメントが指摘していることである。とすれば、仮に通史に日本軍による住民殺害についての記述があったとしても、それは「沖縄戦記録」ないしそれと同等の、ないしそれ以下の「等級」の史料に依拠したものということになる。生史料だからダメ、通史になったらOKというのは一体どう言うつもりか? もちろん、通史であれば史料批判を経たうえで記述がなされていると想定しうる、ということはあろう。しかしそれは「検定の場で手間を省くことができる」という問題でしかない。史料批判が問題ならば、現に「沖縄戦記録」はそのコピーが提出されたのである。


ところで時野谷滋氏は昭和23年に東大の国史を卒業している。ということはつまり、入学時は平泉澄が牛耳っている次期だったわけである。平泉は敗戦にともなって東大を辞めているから、これだけでは平泉史観の影響をどれ程うけたか判然としない。ただ、本書77ページで引用されている自著の謝辞の中に「恩師平泉澄先生」という表現があること、教科書調査官としても先輩にあたる村尾次郎の名前もあるなど、少なくとも平泉史学とは一線を画すという意識の強い人物ではなさそうである。


「情報を誰が伝えたか」に異様にこだわる人物がいたように記憶しているが、そうした人物であれば、こうした経歴を持つ(元)教科書調査官が旧軍の行動に関わる教科書の記述についての検定に関して著書で述べていることは「なかなか簡単には信用できない」と判断されることだろう、きっと。