屈折した自虐

朝日新聞夕刊に連載されている「新聞と戦争」シリーズは先週月曜日、15日から「表現者たち」と題する章が始まっており、後に『麦と兵隊』で人気を博すことになる火野葦平が占領間もない杭州芥川賞を授与される場面(授与のために日本から杭州へ行ったのが小林秀雄)から書き起こされている。
この火野葦平に“目を付けた”のが「陸軍の報道のプロ」、馬淵逸雄・中支那派遣軍報道班長(中佐、当時)であるとされている。この馬淵逸雄については『報道戦線から見た「日中戦争」 陸軍報道部長 馬淵逸雄の足跡』(西岡香織、芙蓉書房出版)という評伝がある。古書店で見つけ、南京事件否定派が近年しきりに強調する「情報戦」との関係で参考になるかと思って買ってみたのだが、家に帰ってパラパラめくってみると、南京事件については東中野修道を支持していることが判明したので、二重の意味で興味深くなった(なお著者はフジテレビの放送記者出身、産経新聞ニュースセンター副室長などを務めた経歴を持つ)。

否定派の「情報戦」論は、以前からある「アメリカは真珠湾攻撃を知っていた」説、「対独参戦のため日本を開戦に追い込んだ」説などと同様、日本を無垢なる敗者として表象するためのマヌーバーである。悪しき意図でもって始めた戦争で戦略的・戦術的ミスを重ねてこっぴどく負けた、というのではあまりにも救いがないというわけか、開戦に到る経緯を中心に、相手が如何に悪辣で狡猾であったかを強調し、日本を相対的に免罪しようというものである。
ただこの表象は、下手をすると当時の日本を実態以上にマヌケな、当事者能力を欠いた政治主体として描きかねない…という弱点をはらんでいる。「当時の日本は立派だった」という信念と折り合いを付けるのは必ずしも容易ではないわけだ。『報道戦線から見た「日中戦争」』が「報道のプロ」馬淵逸雄の活躍に焦点をあてれば当てるほど、否定派の歴史記述が無視している当たり前の事実、すなわち「プロパガンダを行なったのは連合国側だけではない」「人々が戦争について抱いたイメージは連合国側のプロパガンダによって一方的に規定されたわけではない」という事実を無視できなくなってしまう。実のところ、否定派の歴史記述の方が「自虐的」である場面は決して少なくないはずである。