『「百人斬り競争」と南京事件』(追記あり)
先ほど買い物に出た時に買って帰ったばかりですが。
目次
はじめに
第一章 「百人斬り競争」を生み出した戦争社会
第二章 「百人斬り競争」の傍証−−日本刀と軍国美談と国民
第三章 「百人斬り競争」の証明(1)
第四章 「百人斬り競争」の証明(2)
補論 「百人斬り競争」はなぜ南京軍事裁判で裁かれたのか
おわりに
あとがき
脊髄反射する人種もいるので言わずもがなの補足をしておけば、「百人斬り競争」の証明というのは「当時新聞で報道された通りのことがあった」という証明を意味するわけではない。
従来はどうしても否定派に対抗するかたちでなされてきた、つまりは後手に回っている感がなきにしもあらずだった「百人斬り」についての研究が一冊にまとめられた(一冊丸々のスペースを割り振って発表された)ことの意味は大きい。過去に出版された著作の一部、雑誌論文、さらにはネット上のコンテンツをあわせれば相当な量の研究の積み重ねはあったわけだが、あちこちに散在している情報を通読するのはやはり並大抵のことではないからである。
読了したらまた改めてご報告させていただきます。
6月25日追記:一通り読了しました。読みどころの一つは第一章、第二章で豊富に紹介されている「○○人斬り」の報道例でしょう。両少尉の「百人斬り」以外にも多くの「○○人斬り」が報じられていたことについてはすでに小野賢二氏が調査し、『季刊 戦争責任研究』の第50号(05年12月)で紙面の写真とともに紹介されていますが、地元の図書館や書店で閲覧・入手するのが容易ではない媒体だけに、今回多数の例が紹介されたのは意味のあることでしょう。「百人斬り」のケースだけを単独で問題にして「捏造記事に決まっている」などと論じることの無意味さが直ちに了解できます。また、第一章で紹介されている資料、『日本刀の近代的研究』(海軍大佐小泉久男、丸善、1933年)もたいへん示唆に富むものです。第一次上海事変の戦訓を海軍砲術学校が調査した結果で、そのなかには「据え物斬り」(著者の分類)で42人を斬ったという「切れ味至極」な日本刀の例が紹介されています。「刀身は何ら異常なしといえども、骨を切りしときの跡かと思われ刀身の物打の部に白けて見ゆる部あり」というのが調査時の状態でした。山本七平的な頭ごなしの否定論は、日本軍によって公式に、あらかじめ論駁されていたと言ってよいでしょう。
「百人斬り」をめぐる議論において無視できない論点に「なぜこの二人が?」というものがあります。補論では戦後の戦犯裁判においてこの二人が戦犯として選定された経緯についても詳しく触れられていますが、「はじめに」では日本人が考える以上に中国人にとって「百人斬り」が「南京大虐殺」の重要な構成要素となっていることが(アンケートや教科書の記述の分析を通じて)指摘されています(ホドロフスキさんも李監督の『靖国』の背後に、日本刀に対する中国人の特有の認識があるのではないか、といった指摘をされていました)。強い情動をともなう記憶をもたない者は「どうせ問題にするならより組織的、構造的な事柄を…」と考えがちですが、「距離のない殺人」は殺す側だけでなく殺される側(正確には殺されかけて生き残った人や目撃した人、でしょうが)にも強い衝撃を与えるであろうことは予測できます。9.11以降のイスラーム過激派の表象にしても、あの「首切り」という殺害方法はかなり強調されています。ただ、「中国人の死生観」に言及した部分については、更なる考証が必要であるように感じました。