駆逐艦「雷」と麻生鉱業?

最近熱心に語られている「軍国美談」に、駆逐艦「雷」がイギリス軍の漂流者(42年3月1日にスラバヤ沖で「雷」を含む日本海軍の艦隊に撃沈された軍艦の乗組員)400名以上を救助した、というものがある。もちろん、これを「美談」とすることに別に異議はない。「美談」が同様なおこないを推奨するために語られるのであれば。対英米戦初期の日本海軍には次のような事例もある。

最近知った例ですけど、巡洋艦矢矧というのがあって、 戦艦大和という戦艦が沖縄へ水上特攻というのをして突っ込みます、 太平洋戦争末期ですけれど、それに護衛艦としてついていった巡洋艦です。 それの戦記が出たんですけれど、矢矧が沈没した後2〜3時間、 漂流する日本兵が米軍機の執拗な銃撃を受けます。 これに対してマレー沖海戦というので、太平洋戦争の初期に、イギリスの戦艦、 プリンスオブウエールズとレパルスという2隻の戦艦を 日本の海軍の航空隊が撃沈するという戦闘があったんですね。 そのときには日本の海軍機は護衛でついてきているイギリスの駆逐艦が 漂流するイギリス兵を救助するのを妨害しなかったといわれているんです。 美談としていわれているんです。 なおかつ次の日には、飛来した日本軍機が2つの花束を海上に投げて、 ひとつは日本兵のために、ひとつはイギリスの戦死者のためにというのが、 児島襄の『太平洋戦争』に出てきます。 この藤岡信勝氏らの議論を敷衍させていけば、沈没した矢矧の漂流する日本兵、 ダンピールで漂流する日本兵、このダンピールの場合は話が前後しましたけど、 一部の日本兵駆逐艦に救助されてニューギニアに上陸して戦闘に加わってるんですね。 だからさっきの藤岡理論によれば殺して当然、 殺されて当然ということになっちゃうんですね。 それではおかしいわけで、このマレー沖海戦の場合も、藤岡流の議論で言えば、 イギリスの駆逐艦の救助活動を妨害しなかった日本の海軍機のパイロットというのは、 異常な戦場の現実を知らない感傷主義者だってことになりかねないわけですね。 そういう点で、繰り返しになりますけど、結局彼らの議論は、 日本軍に対するアメリカ軍の戦争犯罪を肯定することにつながる 戦争観なんだっていうことを強調しておきたいと思います。
(http://www.jca.apc.org/nmnankin/news6-12.html#23)

ところで、民主党藤田幸久議員が救助された乗組員の「その後」について外交防衛委員会で質問している。まだ国会議事録検索システムでは閲覧できないので藤田議員の公式サイトより。

藤田幸久君 (……)
 それで、ちょっと次に移りますが、昨年の十二月のこの委員会で中曽根外務大臣は、戦争中にインドネシア日本海軍の「電」と「雷」という船が英国の軍隊の船を撃沈したけれども、その四、五百名の英国の兵士が海上に漂っているのを全員助けて、服を与えて食料を与えたと。そのとき助けてもらったイギリスの軍人が来日をし、その歓迎会を行ったと。自分もその実行委員を務めたという大変美しい、いいお話を紹介されましたが、その四、五百人の方々が日本の工藤艦長の下で救助をされたと。その後、そういう方々がどこに連れていかれたのか。例えば日本の炭鉱などで働かされたようなことがないのか、その辺については御存じでしょうか。


○政府参考人(谷崎泰明君) お答えいたします。
 ただいま御質問ありました日本海軍の「雷」の話でございますけれども、これは元海上自衛隊の恵隆之介氏の書いた本がございます。これによれば、日本海軍の「雷」に救出された英国人兵士は、ボルネオ島バンジェルマシンに停泊中のオランダの病院船、オプテンノールと申しますけれども、これに収容されたということでございます。


藤田幸久君 ですから、どこに連れていかれたかということ。


○政府参考人(谷崎泰明君) はい。
 その後、先日来日したフォール卿によりますと、その後、マッカサルの捕虜収容所に収容され、その後、セレベス島東岸に移され、そこで終戦を迎えたということでございます。


藤田幸久君 資料を三枚ほどお配りしておりますが、その二枚目に、麻生鉱業終戦の二週間ぐらい後、つまり八月末に撮られた写真がございます。これはオーストラリアの御家族から提供いただいたもので、現在生きていらっしゃる方もこの中にいらっしゃいますが、実は最近確認をいたしましたが、この一番後ろの列の右から五番目、一番後ろの右から五番目の方がこれはジェームズ・マクアナルティという方で、この「雷」「電」に救出をされた方のお一人だそうでございます。この方がつまり後に麻生鉱業で捕虜として使役をされたということを、このジェームズ・マクアナルティさんの息子さんのジェームズさんという方とアイリーン・サンテンさんという方が数日前ですが確認をしております。つまり、この救助された方の中にも麻生鉱業を含めて日本の炭鉱等で働かされた方がいるという事実を確認をいたしました

 したがいまして、私は、この工藤さんですか、大変いい功労をされて、いいことをどんどんどんどん伝えるというのは賛成でございます。ただ一方で、こうした現実もあるし、そして次の質問に移りたいと思いますが、この私の資料の一枚目が、オーストラリアに今生きていらっしゃる数名の方のうちの三名が今年、麻生総理に手紙を出されました。つまり、麻生総理が初めて三百人麻生鉱業に捕虜がいたということを確認をされた後、この手紙を出されたわけでございます。この手紙に対して、官邸の方で接受、受けたと。ただ、まだ対応を検討しているところであり、返事は出していないということでございましたけれども、二月四日付けの手紙ですから、もう一か月半以上たっております。

 それで、私、三つの要請のようなことが書いてありますけれども、これ、今までの捕虜の方と違って、直接的な金銭補償は求めておりません。むしろ、六十三年間無視をされてきたことに対する謝罪とか、我々が存在したんだということをまず認めてほしいという言葉を求めているということが、私は九十歳近い捕虜の方々の大変思いやりのある言葉ではないかと思っておりますけれども、これに対して政府として、官邸としてどのような返事をされるおつもりなのか、官房副長官の方からお答えをいただきたいと思います。


内閣官房副長官松本純君) 先般、総理も御答弁の中で触れられていると存じますが、このお尋ねにつきましては、その対応につきまして引き続き検討をしているところでございます。


藤田幸久君 先ほどの「雷」等々の救われた方の、このイギリスの方については、御自宅までリムジンで迎えに行って、相当な待遇のことをして日本に呼んでこられているんですね。もう九十近い方々がまだ生きていらっしゃる。私はこの間も総理に申し上げましたけれども、こういう方々こそ日本にお呼びになって、言葉を求めていらっしゃるんですね、この方々は、お金というよりも。そういうやっぱり交流の、是非発信を私はしていただきたいということを、官房副長官、是非総理にもお伝えをいただきたいと思います。
(……)

強調は引用者。中曽根外務大臣が「大変美しい、いいお話を紹介」したというのは、昨年12月18日、第170国会参議院外交防衛委員会でのこと。「元海上自衛隊の恵隆之介氏の書いた本」というのは『敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』(草思社)。


この活動報告(30日)の翌日(31日)の記事が「外交官の防衛大教授が、911陰謀論を主張」となってるのが……。そのページでも宣伝されている藤田議員の編著の帯(?)には寺島実郎の宣伝文が。『文藝春秋』4月号の企画「これが日本最強内閣だ 識者33名&政治記者84名アンケート」でも何度か名前が挙がってるんですけど、このひと。