井上靖の従軍日記、発見

 小説家、井上靖(1907〜91)が大阪毎日新聞毎日新聞の前身)に在籍中の1937(昭和12)年から翌年にかけ、日中戦争の体験を書いた従軍日記を、プール学院大学長で独文学者の長男修一さん(68)が遺品の中から見つけた。(中略)
(中略)
 37年8月25日の「……五階の宿直室でうとうとしてゐると ふみ(妻)から九時頃電話、召集令状。一旦帰宅」で始まる。輜重(しちょう)(輸送)隊に属して中国大陸を行軍中の10月には心身のつらさの吐露が目立ち、11日「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリト ソノ水デ炊事シタ 相変ラズ人馬ノ屍臭紛々タリ」、14日「アヽフミ(ふみ)ヨ! 伊豆ノ両親ヨ 幾世(長女)ヨ!」、19日「神様! 一日モ早ク帰シテ下サイ」、24日「フミヨ、今度コソハ参ツタ」、28日「相変ラズ車輪ヲミツメ湯ケ島ノコトヲ考ヘテ歩ク……羊カンデモ汁粉デモ甘イモノガタベタイ」などと書く。
(後略)

日記の全文は来月発売の『新潮』12月号に掲載されるとのことなので今の時点であれこれ憶測しても始まらないのですが、言うまでもなく「1937(昭和12)年」の「8月25日」に召集を受け翌年に内地送還、というのは第二次上海事変〜南京占領の時期と重なっています。もちろんこの時期、中国北部でも戦闘は行なわれていましたが、「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリ」といた激戦の様子は華中戦線を思わせます。井上靖は北海道生まれではありますが静岡県の旧家の出身とのこと。静岡は名古屋の第三師管区に属していますから、第3師団の輜重兵連隊に補充兵として召集されたのか? といった想定が可能かと。(追記:コメント欄参照)