久々の「七平メソッド」解説

日本人とユダヤ人』(以下、引用の出典は角川文庫版のページ数のみを示す)の第十二章は「しのびよる日本人への迫害」というおどろおどろしいタイトルがつけられており、さすが反共デマゴーグだけあって「中韓反日包囲網がっ!」とか「マスゴミは在日に支配されているっ!」と叫ぶ昨今の国士様の先駆者だなぁと感心させてくれます。
ここで七平はインドネシアの華僑、「黒いアフリカ」のアラブ人、古代アレクサンドリア・中世スペイン・帝政末期ロシア・ヴェルサイユ体制下のドイツにおけるユダヤ人を例にあげ、時の政権に重用されていたマイノリティがその政権の崩壊時に迫害されるのが「迫害の類型的なパターンと共通的な原因」であるとしています(181-186)。
すでにこの段階で七平の主張の非科学性は明らかです。自分が想定する「類型」に該当しそうな迫害のケースだけを恣意的に選び出して例示しているにすぎないからです。


また関東大震災時の朝鮮人虐殺はこの「パターン」には当てはまらない、「まさに動物的本能に由来するともいうべき」原因によるものだ、として日本政府や日本社会の責任を免除しようとしたことは過去に当ブログでも紹介しました。その際、大震災の体験者である「Yさんという日本人の友人の御母堂」の朝鮮人虐殺に関する談話を引き合いに出していながら、実はその内容はことごとく「御母堂」の推測にすぎない……という離れ業(191-192)についても紹介しました。ここ数日メディアを賑わせている話題の一つはスキーバスの転落事故ですが、メディアが「自らもスキーツアーで長距離バスを利用した経験のあるAさん」を見つけ出しておきながら、彼ないし彼女が自身のバス利用体験ではなく「事故を起こしたバスでなにが起こったか、についての想像」ばかりを喋ったとしたら、そんな素材はもちろんボツになるでしょう。


私がしばしば山本七平信者の態度を揶揄するのに用いている「事実であろうと、なかろうと」はこの少しあとに登場します。

 「朝鮮戦争は日米の資本家が(もうけるため)たくらんだものである」と平気でいう進歩的文化人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊っちゃんよ。「日本人自身もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュヴィッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。この言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。(中略)たとえこれが事実であっても、これは日本の責任ではないし、日本が何か不当なことをしたのでもない。だが全く同じことを、第一次世界大戦の後に、ドイツのユダヤ人もいわれたのだ。「われわれが西部戦線で死闘していた間、あいつらは銃後にあって、われわれに守られてぬくぬくともうけやがった」。ユダヤ人は確かにそういう位置にいた。(後略)
(194-195)

ユダヤ人は確かにそういう位置にいた」というのがなんとも凄まじいですが、ここまで読んでこられた方は「?」ですよね。だって、先に七平自身が主張した「迫害の類型的なパターンと共通的な原因」に照らすなら、ここでの文脈における「日本人」が迫害の対象になることなど想像できないからです。
ところが「七平メソッド」にかかれば大丈夫! 当時の日本人は「キリスト教徒白人と共産主義者白人」という支配者の下に、そして「比較的貧しい一般的消費者原住民」の上にあって「円が世界一強い通貨といわれるほどの利益を蓄積している」から、かつてのアレクサンドリアなどのユダヤ人と同じようなものだ、というわけです(193-194)。実に粗雑なアナロジー
このプロパガンダの嫌らしいところは、「これは日本の責任ではないし、日本が何か不当なことをしたのでもない」などと言いながら、当時の日本人が漠然と感じていたかもしれない後ろめたさを利用して、しかもそれを居直りと「原住民」への憎悪へと転換させようとしている点です。