藤原彰(編)、『南京事件をどうみるか 日・中・米研究者による検証』、青木書店


南京事件発生60周年となる1997年12月に東京で行なわれたシンポジウムの記録に、同年8月に南京で行なわれた「南京大虐殺史国際学術シンポジウム」、同年12月のプリンストン大学「南京1937年・国際シンポジウム」に関する記録を加えてまとめたもの。このような成立事情ゆえに、一つ一つの論考をみれば物足りないものも少なくなく、またこれ一冊を読めば南京事件について一通りの知識が得られるというものでもない。しかし97年時点での各国の研究状況(その広がりと深まり)についての手がかりを得るにはよいのではないか。


もっとも読み応えがあるものの一つが、幕府山の捕虜虐殺について研究を続けてこられた在野の研究者、小野賢二(ちょうど、昨日の朝日新聞夕刊一面で小野氏がとりあげられたばかりであった。この件、青狐さんのご教示による)の「第一三師団山田支隊の南京大虐殺」である。また、俵義文(出版労連教科書対策部事務局長)の「南京大虐殺事件と歴史教科書問題」も、1955年から70年代なかばころまでの、文部省による「南京事件封殺」の事情をまとめており参考になる。50年代後半から60年代の検定にみられたという検定意見のなかに「全体として科学的記述過ぎる」というものがあったという指摘(120頁)を読んで思わずこえを上げて笑いそうになった。要するに、歴史が社会科学だという認識がなかった(また、おそらく科学的歴史学という表現はマルクス主義史学を連想させた)と言うことなのだろう。なんせあけすけに「日本の悪口はあまり書かないで、それが事実であってもロマンティックに表現せよ」とする検定意見もあったとのことであるから。


以下、断片的にであるが注意を引かれた点をば。斉藤豊(弁護士)の「南京事件国際法違反」は、「占領下の南京に、仮に便衣兵がいたとしても、被占領地域*1における活動は陸戦規則により交戦資格を認められたものとされるので、これらに対する扱いは、正規兵が捕虜となった場合と同様の人道的扱いをしなければならない」と主張している(95頁)。ハーグ陸戦条約の第1章を素人なりに読んだ限りでは氏の主張の根拠がちょっとよくわからないので、要調査。また楊大慶(ジョージ・ワシントン大)、「アメリカにおける南京大虐殺事件認識」が「ベトナム戦争のとき学生だったアメリカ人学者は、アメリカ国内の人種差別やマイライ(ソンミ)虐殺事件のような米軍の残虐行為など自国のマイナス面を十分認識しまた批判していますから、日本に対しても南京事件の歴史事実を回避することはしません」と指摘しているところも興味深い。また、笠原氏がアイリス・チャンの史料評価の誤りを指摘した(パネル・ディスカッション後の会話で)際の体験、イアン・ブルマがパネル・ディスカッションでアイリス・チャンを批判していることを報告しているところも(南京事件研究全体からみれば些細なことであるが、日本国内での政治的論争という観点からは)注目に値しよう(アイリス・チャンの主張を鵜呑みにしている日本人研究者はいない、ということを示す意味で)。

*1:私の誤記のためにちょっとややこしくなってしまったが、原文の表記は「被占領地域」となっている。そしてこの箇所での斉藤氏の議論は、コメント欄でja2047さんからご教示いただいたように、「被占領地域」を「非占領地域」ととり違えた―この場合、私がではなく斉藤氏自身が―ための、結果的に間違った議論であると思われる。