箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」

あちこちでコピペされているのが「小林よしのり氏が「ゴー宣・暫」の中でネット保守との共闘を求める」というネタ。それが本当かどうかなんてどうでもいいのだが、ともかくそのネタによれば「今後、講和条約第11条の件でデマを流している知識人がいたらただちにネットで攻撃してくれ」とされているんだとか*1。「講和条約第11条の件でデマ」というのはもちろん、「日本はサンフランシスコ講和条約第11条によって、連合国による軍事裁判を受けいれた」という主張を指すわけである。
それにしてもあれだね。「裁判全体を受け入れた」という主張に賛成しないのは勝手だけど、日本政府がとっている立場と同じことを言ったら「デマ」呼ばわりとはね(笑)


このネタに早速反応しているのが野良猫氏。

野良猫 『「第11条を受諾したんだから、東京裁判の趣旨と判決理由も全て受け入れたんだ」という主張をしているブログは時々みかけますね〜。
 小林よしのりの「お墨付き」がついたことで、そういったサヨク系ブログと彼らが信じる知識人の場所が炎上していくかもしれません。
(http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060906/p2#c 以下同じ)

これに対して私がコメント。

Apeman 『>第11条を受諾したんだから、東京裁判の趣旨と判決理由も全て受け入れたんだ」という主張をしているブログは時々みかけますね〜。

それが日本政府の公式な立場でもありますね〜
平成18年02月14日 衆院予算委員会 発言者:麻生外相
「(…)B級戦犯、C級戦犯含めまして、複数の裁判所の決定に皆従うという意味で、ジャッジメンツというぐあいに複数になっているというように理解するのが正しい英語の理解の仕方だと存じますので、裁判所の判決ではなくて裁判を受諾したというように、サンフランシスコ講和条約第十一条はそれを意味しているものだと理解しております。」

平成17年06月02日 参院外交防衛委員会 発言者:政府参考人(林景一)
「ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。」』 (2006/09/07 11:24)

これに対する野良猫氏の返答がすばらしい。「それは林景一という人が間違ったというだけの話ですね」だそうだ。わぁお! 麻生外相のことはスルーしているのはご愛嬌。
はっきりいって、「日本が受諾したのは判決だけ」論は愚にもつかない珍論である。それがなぜ、またどれほど愚劣であるかは後ほど説明するが、ともかくこんなものを信じているのは「自分の頭で考えずにコピペを鵜呑みにするバカ」か「自明の理すら飲み込めない阿呆」であり、嘘と知って振りまいているなら恥知らずである、とまず言っておこう。


国会会議録検索システムで、「受諾したのは判決だけ」という愚論がいつごろから(国会で)とりあげられているのかをちょっと調べてみた。とりあえず昭和25年の分から、ざっと調べてみただけなので見落としはあるかもしれないが、講和条約11条はまず昭和26年11月10日、参院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会でとりあげられている。

○杉山昌作君 私は第十一條に返りまして甚だ恐縮ですが、お伺いいたしたいと思います。(中略)
 先ず第一に、本條約には、日本国は戰犯法廷の裁判を受諾し云々ということになつておりまして、これで我が国は裁判を受諾することになるのでありますが、裁判を受諾いたしました結果は、この裁判或いは判決に対してもう全然何らの異議を申すこともできなくなるのであるかどうか、何らの救済もできないのであるかということであります。(中略)今回裁判を受諾するということになりますと、一切こういうことにつきましては、今後は異議の申立も或いは救済を求めることもできなくなるのかどうか。その点を先ず第一にお伺いいたしたい。

国務大臣大橋武夫君) 講和條約第十一條によりまして裁判を受諾するということは、被告人に対しまして申渡された裁判を合法的且つ最終的のものとして、日本国政府が承認をするという意味を含んでおると存ずるのでございます。従いまして、その現在あります確定しておりまするところの裁判につきまして、日本政府の立場から、その手続なり或いは内容について適当でないという点を指摘いたしまして、その修正を求めるという方法は原則的には鎖されておる、こう考えるわけであります。併しながら何分にも多数の戰犯の諸君の数でございまするし、又遠隔の、殊に言語不十分といつたような非常に特殊な環境のもとに裁判されたものでございまするから、今後調査によりまして、個々的にいろいろ不適当ではないかと認められるようなものがありましたならば、その都度外交上の手段を通じまして、でき得る限り是正の道を図るというのが、これは政府として当然考えなければならん事柄でないかと思います。但しこれは條約上の権利として主張し得るものではない。條約は一応裁判を日本国が受諾いたしておるのであります。ただその後は通常の外交上の措置といたしまして、できる限り政府といたしましては努力をいたしたい、こういう次第でございます。

これは講和条約調印直後の質疑であるが、この時点ですでに戦犯の赦免、救済が議論されていることが分かる。しかし政府の答弁はもちろん、質問する側も「裁判」を受諾するという前提をとっていることに注意されたい。また、大臣の発言中、裁判を「合法的」なものとして受諾するのだ、という部分にも留意されたい(後述)。
昭和26年11月13日、参院法務委員会でも鬼丸義齊が同趣旨の質問をしているが、やはり「然るに今回の講和条約におきましては、この条約の十一条によつてすでになしたる裁判はこれを受諾し、而もそれを執行して行かなければならん、こういうふうに一つ残されております」という認識である。
会議録の検索は「講和 裁判 判決 受諾」をキーワードとするAND検索で行なったのだが、そうすると検索結果が講和の直後と、昭和63年以降にはっきり分かれていることが明らかとなる(「受諾」という語を用いずに「受け入れ」などとしている例はヒットしないので、漏れはあるかもしれないが)。ちょっと長くなるが、講和直後の質疑の例をもう少し挙げておこう。

○大橋国務大臣 (前略)しかしながら第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります。
(昭和26年11月14日、衆院法務委員会)


○專門員(坂西志保君)(前略) 次は陳情第三十六号でありまして、全戰犯被拘禁者赦免の外交措置に関する陳情、陳情者は東京郡渋谷区千駄谷二ノ四五六、鵜沢総明外十一名であります。対日平和条約第十一条に日本国は、極東国際軍事裁判所と連合国軍事裁判法廷の戰犯に関する判決を受諾することを確認すると同時に、日本国は現在拘禁中の者の赦免を申出ることができる規定があります。ついては戰犯被拘禁者の赦免は、条約の効果の発生する日に行われるのが最も赦免の目的に沿い、且つ効果的であると考えられるのでありますから、批准書寄託と同時に条約第十一条による勧告の書面を極東国際軍事裁判所関係国並びに軍事裁判所構成国に送付して、これらの諸国が条約批准と同時に赦免の決定をされるよう措置せられたいとの陳情であります。
(昭和26年11月26日、参院外務委員会)


○齋藤(三)政府委員 (前略)もちろん平和條約十一條で刑の執行を日本国は受諾いたしたのでございまするから、何ら理由なしに全部を赦免してくれというようなことは、この條約によつて申すことは可能でありましようが、勧告をしてもその効果をあげることはできないのではないか。(後略)
(昭和27年07月29日、参院、法務委員会)

などである。発言中「判決を受諾」という表現が用いられている場合もあるが、政府は一貫して「判決の受諾=裁判の受諾」という認識で答弁しており、質問者もまた「裁判の受諾」を前提としていることが知れよう。
もっとも、講和条約11条への異議はこの当時からあった。昭和27年04月18日、参院法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会での、大西保参考人の発言がそれにあたる。

参考人(大西保君) (前略)
 先ず私は、この法案がよつて立ちますところの講和條約の第十一條は、我が国の憲法の第三十二條に違反するものであつて、従つて無効であると解釈いたしたいのであります。憲法三十一條によりますと「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定しております。講和條約の第十一條は外国が裁判しましたところの刑の執行を日本国が受諾したのであります。刑の執行とは国民の特定の者を監獄という所に入れて自由を拘禁するところの行為であります。人間は豚や鶏とは違います。そういうような人権を侵害するような重要な行為が、單なる一片の條約によつてきめられますかどうか。私はこの点について甚だ疑問に堪えないのであります。(下線は引用者)

ただしこれは講和条約第11条が違憲だ、という主張であって「判決は受け入れたが裁判は受け入れてない」という詭弁ではないことに注意。これに対して憲法98条2項に依拠した反論がこの後別の参考人から出ているのだが、それについては省略。


ついで新しいものに移る。まずは昭和63年04月15日、参院決算委員会での質疑。

国務大臣小渕恵三君) 極東国際軍事裁判につきましては、諸外国におきましても、また学者の間でも、また今、板垣委員御自身もかねて来この問題についてのメインサブジェクトと考えられるほどに、この問題についての御見解を持っておることも承知をいたしております。おりますが、政府といたしましては、同裁判をめぐる法的な諸問題に関しまして種々の議論のあることは承知をいたしておりますが、いずれにせよ、国と国との間の関係においては、我が国はサンフランシスコ平和条約第十一条によりまして極東国際軍事裁判所の裁判を受諾したことは御承知のとおりであり、我が国としては、右裁判を受諾した以上、右裁判についての異議を唱える立場にはない、こういうふうな考え方でございます。


○板垣正君 法制局長官にもお見えいただいておりますが、同様のことについて法制局としてはどういう見解をお持ちでしょうか。


○政府委員(味村治君) これは全くただいま官房長官がおっしゃったとおりに存じております。


○板垣正君 外務省としてはいかがですか。


○政府委員(斉藤邦彦君) 外務省といたしましても、ただいま官房長官の方から御答答がありましたとおりの考え方をとっております。


○板垣正君 そこで、私は歴史の事実ということについて申し述べ、さらに御見解を承りたいと思います。
(中略)
 さらに下がりまして、四十年八月六日の衆議院内閣委員会でありますが、高瀬傳委員がこのように述べております。判決の容認と裁判自体の正当性に対する日本政府の見解披瀝は別の問題ではないか、将来子孫に非常に重大な影響がある、政府として統一見解を持つ必要があるのではないか、勝者の敗者に対する裁き、国際的にはあり得ないことである、時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてもらいたい、それが子孫に対する現在生きている者の義務ではないかと思う、研究してもらいたいという発言もとどめられております。
(後略)

板垣議員は東京裁判を「暗黒裁判」呼ばわりしているが、名前でピンと来た方もおられるように、東京裁判で死刑となった板垣征四郎の次男である。板垣議員は平成05年11月09日、参院内閣委員会、平成10年04月07日、参院総務委員会でもこの問題を蒸し返しているが、そのたびに政府委員から「あんた、前にもそれ質問して、きっぱり否定されたジャン」とあしらわれている。遺族であるから心情は察するものの、それと東京裁判の歴史的・政治的評価はまた別の問題である。
また幸い、「講和 裁判 判決 受諾」というキーワードでの検索では漏れていた事例がここに引用されている。昭和40年08月06日、衆院内閣委員会での高瀬傳委員の質問とそれに対する政府答弁である。

○高瀬委員 わかりました。そうしますと、戦犯そのものの裁判、あれは平和条約でやむを得ないということになっているのですね。しかし、将来あの裁判が正しかったかどうかということについての法的見解というものはどうなんですか。これはおのずから東条さんだの何かの処刑をアクセプトするということと、あの裁判自体の正当性を日本がある程度見解を披瀝するということとは、別だと思うのです。これは将来子供さんなんかに非常に重大な影響があると思うので、その点どうですか。あなたに言明しろというのは無理かもわかりませんが、やはり政府としては統一見解を持っている必要がある、こう思うのです。


○山根説明員 この問題につきましては、先ほどもお話がございましたように、平和条約十一条におきまして、戦犯の裁判はわが国政府としては承認するということを明言しておるわけでございまして、いまその是非について論議するということは、研究者の立場といたしましては別でございますが、政府の立場といたしましては、これを誹議するということはできないではないかと考えております。


○高瀬委員 そうすると、われわれが道義的にあんなことはだめだと言っても、言いわけをかってにしろというわけですか。


○山根説明員 戦争裁判につきましては、その当時の政府といたしまして一応その結果を承認いたしておりますので、いまさかのぼって政府としてこれを誹議するということはできないと存じます。

ごらんいただけば分かるように、質問の方も政府答弁の方も今日における議論の原型となっている。講和条約調印直後においては、服役中の戦犯の処遇が焦点だったのに対し、東京裁判歴史的評価へと焦点が移っていることに注目したい。
あとはこの問題を持ち出した議員の名前だけ。平成14年07月04日、憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会での奥野誠亮。ちなみに委員長が高市早苗参考人八木秀次と、非常に暑苦しいメンツである。平成17年06月02日、参院外交防衛委員会山谷えり子。カマヤンさんのブログをごらんの方にはお馴染、壺議員の一人である。平成18年02月14日、予算委員会。ここでははなしを持ち出したのは岡田克也で、安倍晋三麻生太郎歴史認識を問うのが趣旨であった。板垣議員の場合、個人的な動機も無視できないだろうが、近年この問題が取り上げられる背景にA級戦犯合祀の問題があることは間違いないだろう。


さていよいよ、ほとんど言わずもがなのことではあると思うけれども、「受諾したのは判決だけ」論がなぜ愚論なのか、野良猫氏の言い逃れがなぜ噴飯ものであるのかの説明に移る。
まず第一に、上で示したように政府は一貫して、かつ繰り返し、日本は戦犯裁判そのものを、林参考人のことばを借りれば「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべて」を受諾したのだ、と答弁してきている。この「受諾する」は典型的な行為遂行動詞であり、政府が「受諾する」と宣言すること自体が受諾する、という行為に当たるのである。「裁判を受諾した」という政府答弁は、この受諾行為を再遂行*2しているわけである。したがって、政府が「受諾した」と発言したとき、その発言が「間違い」であるということは基本的にありえないのである。仮に、受諾しなくていいものを受諾しちゃったとか受諾しちゃいけないものを受諾しちゃったと後から思ったところで*3、「裁判を受諾する」と宣言した以上裁判を受諾したのである*4。性懲りもなく「受諾したのは判決だけのはず」と質問して「裁判全体を受諾しました」と答弁させるたびに、この「受諾」という事実の厚みは増してゆくのであるから、ご苦労なことである。


第二に、そもそも判決(ないし刑の執行)だけを受け入れるなんてことが可能なのか? という問題がある。ここで、講和条約11条に疑義を唱えた大西保参考人の発言を思い起こしていただきたい。憲法31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定している、と。その通り。「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定」といったものを一切認めず、ただ下された判決の執行だけは行なうということになれば、受刑者たちはなんの法的根拠もないのに*5身体の自由を奪われ続けていることになり、死刑になったものはなんら法的根拠がないのに殺されたことになってしまう。そんな馬鹿なことを政府が認めるわけにいかないのは当然である。判決に基づいて被告は刑罰を受けた。この事態を受け入れるなら、当然裁判も「合法的」(大橋武夫大臣の答弁)なものだったと認めるのが首尾一貫した態度である。屋根は認めるが土台も壁も柱も認めない、なんてことが通用しないのと同じことである。


追記:さあ、炎上するかな?
追記2:エントリ中で引用した私のコメントへの、野良猫氏の反応。

(…)法解釈と条約内容は当時そのままにするもので、それに沿わない主張をしている官僚や政治家がいれば彼らの方が間違っているんだよね。
(…)

ということなので、講和条約調印当時の法務総裁、大橋武夫の答弁を紹介させていただきました。

国務大臣大橋武夫君) 講和條約第十一條によりまして裁判を受諾するということは、被告人に対しまして申渡された裁判を合法的且つ最終的のものとして、日本国政府が承認をするという意味を含んでおると存ずるのでございます。従いまして、その現在あります確定しておりまするところの裁判につきまして、日本政府の立場から、その手続なり或いは内容について適当でないという点を指摘いたしまして、その修正を求めるという方法は原則的には鎖されておる、こう考えるわけであります。

さて、次はどう言い抜けるつもりかな。
追記3:さっそくきました。

それが「accept judgements(諸判決)」という話なんですから問題ないんですよ。

くだらねぇ(笑) 「書いてあることしか読まない」詭弁、ないし「書いてあることしか読めない」阿呆。文章というのはね、それが前提していることもあわせて読まないといけないんですよ。「判決は受けいれたが裁判は受け入れてない」って一体どういうことなのか、筋の通った説明をしてみろ、って。ところで、平成18年の答弁と昭和26年の答弁がその趣旨において一致している、ということはすっかりスルー。「法解釈と条約内容は当時そのままにするもので」という論点は速攻であきらめたようです。
追記4:愚論を擁護すれば更なる愚論を展開しなければならなくなる…という見本。

野良猫 『すると、Apemanさんは裁判の被告側に立たされて判決を受けた際、検察側の主張や判決内容まで被告側が受け入れたって考えてる訳なのか。
 それって東京裁判は特例だと言いたいのか、一般的な裁判はみんなそういうものだって考えているのかを知りたいところですね。

すでにコメント欄でも指摘したが、これは「受け入れる(受諾する)」と「納得する」とをスリカエるという稚拙な詭弁である。刑事であれ民事であれ裁判で最高裁までいって負けた人間が「判決はしかたがないから受けいれるが、日本の裁判所も判決理由も俺は認めん!」と言ってどんな意味があるのか? そりゃいうのは勝手ですよ。しかし社会は「なるほど、あなたは服役したけれども悪事ははたらいてない、ということなんですね」と認めてくれるというのか? バカバカしい。(元)戦犯が個人的に軍事裁判をどう考えようが、その不当性を私人としてどう言いつのろうがそれは自由である。そのなかにはもっともな言い分もあるだろうしそうでないものもあるだろう。しかし、講和条約に調印した法的主体としての日本政府は、「裁判そのものは認めない」と言うことなどできない、と言うことである。
追記5:ブクマコメントより。

grizzly1 政治 確か、戦争は犯罪ではない以上、東京裁判は不当であるから受け入れられない。しかし、敗戦の責任はあるから死刑の判決は受け入れるって話じゃなかった?

いいえ、違います。そう主張している人間はいるが、日本政府は一貫してその主張を斥けてきた、ということです。

*1:立ち読みしたらほんとでした。麻生外相にもお説教してます。

*2:「再確認」から変更。

*3:曖昧な表現を改めた。

*4:例外は、そもそも受諾者に受諾する権限がなかったとか、受諾すべきものが存在しなかった…といった事情があとから判明した場合だけである。

*5:厳密に言えば講和条約第11条のみを根拠に、ということになろうか。しかしその場合、講和条約11条が一体なにを根拠に処罰の継続を要求しているのか、説明がつかなくなる。この注追記。