破れ太鼓

響かないものを打ってもしかたないので、他の読者への説明として、最後にもう一度正面から id:HALTAN のどこがどう問題なのかをきっちり書いておくことにします。


さて、麻生発言に絡めたこのエントリは別に書かずにおくこともできたイヤミでしかありませんから、これにまともに応答しなかったからといってどうということはないんですが、問題は私が5月末の段階ですでに同じことを言っていた、という点です。

2008年05月31日 Apeman せめて同じことを福耳先生にも言ってみせるんなら、まともに相手してもいいんだがなぁ…
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080531/p1

彼は「無教養な者のこの種の事象に対する無関心・無理解も問題だが、反面、ホロコーストのように人間の暗い部分に突き刺さってくるような事件は、知れば知るほど余り語りたくなくなるものだと自分は考えていた」と書いていますが(ただし、彼にこのように書く資格があるかどうかはあとで問題にします)、私はこれが真正な問題提起であるならば簡単に斥けるつもりはなかったのです。しかし“重い話を軽々とネタ化した”ことを問題にするならば、「トリアージ」の方がなぜスルーされるのか、まったく分からない。実際、福耳先生が一連の騒動を自ら「ネタ」呼ばわりしたことを含めそのはしゃぎっぷりの証拠を示すこともできるのですが、まあよいでしょう。「こうやって他人を安易にナチス支持者であるかのように扱ってしまうような姿勢こそ、あの事件の直接の体験者が最も嫌う行為ではないのでしょうか?」という疑問(だから「安易」だというならその根拠を示せよ、という問題についても後述)は四川大地震の被災者にも、そして当たり前のことですが「ナチスドイツ」の被害者(ホロコーストの犠牲者より外延が広い)にも敷衍できることであるはずです。にもかかわらず「トリアージ」については「強いて言えば」、そう、強いて言わないとそういうことにならないらしいですが、「ウッカリ」にすぎないんだそうです。「ナチスドイツ」も「軽率」にすぎないんだそうです。われわれは「声高に」「連呼」して「見世物を楽しんだ」のに、ですよ? このあからさまなダブル・スタンダードを目撃したあとで「ええ、サヨク『も』嫌いですよ。」なんて言い訳を聞かされても白々しい気持ちになるだけです。したがって「ホロコーストのように人間の暗い部分に突き刺さってくるような事件は、知れば知るほど余り語りたくなくなるものだと自分は考えていた」を真正な問題提起として理解することはできない。
それだけでなく「無教養な者のこの種の事象に対する無関心・無理解も問題だが」などと口にするのは天に唾することではないのか、という問題もあります。彼が当初、ホロコーストについてどう語っていたか。「ホロコーストについて言えば、「優生学はなぜ否定されねばならないのか?」という問題でしょうし」ですよ。実に軽やかに、1行でまとめているところに注目していただきたい*1。いまとなっては「その口が“知れば知るほど余り語りたくなくなる”と言うたんか?」と問いつめたい気分ですが、この当時はまともに「そうか、ホロコーストについての認識が違うからはなしが噛みあわないのか」とバカ正直に理解したわけです。そこで私は、手近なリソースとしてウィキペディアの「ホロコーストの最大の特徴は、これら最高の産業技術と組織力を駆使して、系統的かつ迅速に大勢の人を収容して殺害した点である」という記述も援用しつつ、説明しようと試みたわけです。彼が本当に「無教養な者のこの種の事象に対する無関心・無理解も問題だが」と思っているのなら、「ホロコーストって「優生学はなぜ否定されねばならないのか?」という問題でしょうし」という認識の誤りを正す試みは支持されねばならないはずです。が、それに対して返ってきたのがさらなる「分からない」であり、「声高に」「連呼」「衒学」だったわけです。さらにこの「分からない」は後に「場違い」にエスカレートします。「分からない」人間が「場違い」という評価をいったいどうやって下すことができるのか、それこそ「分からない」。「場違い」だと言うのならちゃんと「分かった」うえでどこがどう「場違い」なのかを説明できなきゃおかしいわけです。それとも、「オレに分からないものはすべて場違いだ」とでも言うつもりでしょうか? 「他人を安易にナチス支持者であるかのように扱ってしまうような姿勢」という批判はこの「場違い」という評価を前提して初めて成立するものなのに、その根拠たるや「自分には接点が見つからない」でしかない、という安易さ*2
そもそも彼は問題となった状況について、ずいぶんとインチキなまとめをしていました。

結局、この一件は、fuku33先生の説く「トリアージ」を、hokusyuさんたちが勝手に歴史的・政治的に大きな話にしているだけなんだよね。
(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080526/p2)

例えるなら、救急医療の現場に出向いて、医者(fuku33先生)に「そもそも医療の本質とは・・・」「ぶつぶつ・・・」とか医療哲学者(hokusyuさんやApemanさん)が説教するようなものでしょう。
(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080527/p1)

自分を守るためなら「たかが経営学者」呼ばわりするくせに(なんであんたのそうした傲慢な評価を私が前提せねばならんわけ?)、ここでは福耳先生は救急医療の専門家にされてしまってます。こうして「経営学の授業にトリアージ概念が持ちこまれたこと」は(彼の中では)隠蔽され、福耳先生は「ウッカリ」さんということで放免されてしまうわけです。場の構造を読み違っている人間に「場違い」などと言われたくはありません。

説明責任って・・・これ以上、何を説明して欲しいの? 
(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080808/p1)

説明すべき事柄はすでにこの一連のエントリで列挙してあるんで、読み直したまえ。「これ以上」? なに一つ説明してもらった覚えはありません。

*1:反ユダヤ主義」ではなく「優生学」が出てくるあたりに「どう? ボクって分かってるでしょ?」という「衒学」を見てとることもできます。また別の場所では人類の「原罪」などという表現もしていました。「原罪」は「大きな話」じゃないのか?

*2:なお、誰かが「他人を安易にナチス支持者であるかのように扱ってしまうような姿勢」をとっているかどうかを知る方法はもう一つあります。過去において当該人物が「ホロコースト」とか「ナチス」といった語をどのように用いてきたかを調べることです。一度ならず、今回の麻生発言のような事例が見つかるならば、「他人を安易にナチス支持者であるかのように扱って」いるという批判を浴びてもしかたがない。だから私は hokusyuさんなり私が過去にこれらの語をどのように用いてきたのか調べてみるよう要求しました。しかしこの点について、彼はまったく無視しています。