いまや真の賭け金が何であるかは明白となりました

一連のやりとりのなかで、一発芸を披露して去ってゆくだけの人々は除き比較的まとまった量のテクストを書いた2人の人物、すなわちHALTAN氏とSokalian氏のふたりがそろって、小沢健二を「ポル・ポト呼ばわり」した福耳先生を擁護した(ここここを参照)ことは非常に示唆的です。一体なにを考えればそんな脇の甘いことができてしまうのか不思議でならないのですが、この二人は福耳先生による批判の対象となった小沢健二のテクストを読んでないんですよ! 批判対象のテクストを読んでないのに「ポル・ポト呼ばわり」に問題はないと判断してしまってるんです。言うまでもなく福耳先生のテクストを読んだうえで行なわれたわれわれの批判は「ナチス呼ばわり」「ホロコーストは関係ない」と Disっておいて、小沢健二を読まずに「ポル・ポト呼ばわり」は無問題、と判定してるわけです。信じられます? もはや、hokusyuさんがなぜホロコーストに言及したか、の理路そのものを批判しているのではない(まあHALTAN君の方は理解する気がないと放言したわけですから、理路を批判できるわけがないんですが)ことは明白です。なぜなら、もし本当にホロコーストがひきあいに出された理路に関心があるのであれば、「小沢健二のテキストを読んでみないとポル・ポト呼ばわりが妥当かどうかは判断できません」としか答えようがないはずだからです。特に「人類史上の悲劇を見世物として楽しんでる」などとわれわれを DisったHALTANくんであれば、「ポル・ポト呼ばわり」に対してもデフォルトでは批判的な態度で臨むのが筋というものでしょう。ところが、相続税の廃止に反対する者を「ポル・ポト呼ばわり」した渡部昇一に関しては、HALTANくんは「御本人は堂々と本気で発言しておられる」から「それを他人がとやかく言うことはできない」、とのたもうたわけです。オレ、堂々と本気で発言してたのに、とやかく言われちゃったよ・・・。
要するにですね、「なぜひきあいに出されるのか」とか「人類史上の悲劇」とかはどうでもいいんです、この二人にとって。「ポル・ポト」は所得の(現在以上の)再配分を求める主張に対する脅しとして使われるからオッケーなんです。「ホロコースト」は(今回の場合間接的に、ですが)所得の(現在以上の)再配分を封じる思想を批判するためにひきあいに出されたからダメ、というわけです。これが真の賭け金です。「ホロコーストがなぜ出てくるのかわからない」はそれを隠蔽するためのHALTAN君の煙幕です。煙幕だから本気でわかるつもりがなかったのも頷けます。麻生幹事長の「ナチスドイツ」発言も所得の再配分には関係ないからどうでもいいわけです、彼にとっては。「優生思想」や「全体主義」はいいけど「ホロコースト」はダメ、というのも同じ理由です。なぜなら前二者とは違い、「ホロコースト」は「資源の最適な配分」という発想が前提としているものを問題化せずにはいないからです。「階級闘争史観」云々の、HALTAN君の時代がかった議論を思いだしてください。所得の再配分を要求するものに対し、彼は「ポル・ポトだ!」と叫ぶわけです(毛沢東だ、でもいいんですが)。なのに日本共産党NHKの高給取り(といったって資本家じゃないわけですが)を吊るし上げないと「失望した!」とか言うわけですよ。ご丁寧に「決して文革ポルポトを支持するわけではないが、だがやはり」という導入句つきで。これは魔女裁判の手法じゃないですか。どっちに転んでもHALTAN君から Disられるわけですよ。
なお、hokusyuさんが「金持ちからふんだくる」という表現を用いたところ、それを所得の再配分政策の意味とは理解できない、極左暴力革命だ! みたいなことを言ってたひとは、HALTAN君は日本共産党に対してNHKの高給取りを人民裁判にかけることを要求している、と解釈するように。