『ノモンハン 責任なき戦い』

2018年に放送された NHK スペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』講談社現代新書で書籍化したもの。

本を読むにあたって番組を見直すことはしなかったので放送で使われていたかどうか記憶がはっきりしないが、引用されている辻政信の回想に次のようなものがある。

よく知られているようにノモンハンでの戦いで関東軍は独断で越境爆撃を行っている。これを強く主張したのが辻であることもよく知られている。関東軍は計画が事前に参謀本部に伝わらないための工作も行い、のちの大本営発表を思わせる誇大な戦果を得意げに発表した。これが当時の作戦課長、稲田正純を激怒させる。関東軍の作戦課長に電話をかけ「もってのほかだ」「これ以上言うたら、首切るぞ」などと怒鳴り上げたという。統帥権干犯という暴挙なのだから、当然であろう。ところが辻は次のように主張しているという。

死を賭して敢行した大戦果に対し、しかも明らかに我は報復行為に出たのに対し、第一線の心理を無視し、感情を蹂躙して何の参謀本部であろう。(中略)もしもこの際、「やあ、おめでとう。しかし、この次からは連絡に注意してくれよ……」とでも言われたら、お詫びの電報でも出したであろうにーー。

驚くほどの「甘え」であろう。筋からいえば「次からは連絡に注意してくれよ」程度ですむ話ではもともとないのだが、その「連絡」は故意にネグったわけである。参本には自分たちの「心理」に配慮することを要求しながら稲田の立場や心理はまったく考慮していない。

ところが同じようなことを考えたのは辻だけではないという。関東軍の航空主任参謀・三好康之中佐の次のような回想が引用されている。

私もこれを聞いた時、作戦室で、くそって思うたね。稲田の野郎と思って。私もあの時はちょっと癪に障ったね。自分の非もあるんだから。こういうことやったら、やってしまった後についちゃ。参謀本部も、責任は俺が負ってやるというくらいのことがあってほしいもんだよ。それがなんだ、自分の責任ばかり考えて、お前ら馬鹿、俺の言うこと聞かんって言って怒鳴りつけるというのは、そりゃ間違ってると思うね、私は。

自分たちが勝手にやった統帥権干犯の越境爆撃の責任を参本にとれ、というのだからあきれる。(以上、78-80ページ)

 

さて話題になったテレビ番組の制作者が取材結果を書籍化することはよくあるが、番組にはない書籍ならではの内容として一般的なのはどのような問題意識や着眼で取材と制作にあったったのかが詳しく書かれている、ということだろう。本書の場合、番組ディレクター(の一人)だった著者は「辻政信という軍人をどう捉えればいいのか」という点にこだわりがあったようだ。辻の遺族も番組に登場していた。この次男は父について「現場主義」の人間というイメージを持ち、自分もそれに習うことを旨としてきたという(90ページ)。「満州の最前線でソ連軍と向き合い、汗をかいていた父親の思いは、東京の参謀本部の人間には分からないと毅さんは確信を込めて語る」(90-91ページ)。

辻が参謀らしくもなく最前線に出かけていたことはよく知られている。先の越境空爆でも辻は爆撃機に同乗している。遺族が父親に対して抱くイメージそれ自体に文句をつける必要もない。だがノモンハンガダルカナルの惨状を考えるとき、辻が「現場」「最前線」でなにを見たか(あるいはなにを見なかったか)ということは問われなければならないだろう。また、先の辻の回想にもあったように、「現場主義」を強引な主張を押し通すためのテコとして辻が利用したのではないか、ということも。

また辻が半藤一利によって「絶対悪」と評されたことに辻の次男が強い怒りを抱いていたことも著者の印象に残ったようだ。私が見損なった、石川テレビの番組制作者の問題意識に近いのかもしれない。ただ辻をそう評したのが(『文藝春秋』出身の)半藤一利であるという事実は、「むしろ保守系の評論家が歴史について書くものの方がよほど「個人」を焦点化する傾向があるのではないでしょうか」という私の仮説の例証になっているだろう。

アウシュヴィッツ解放75周年、またひとつ埋まった“外堀”

2月27日はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所がソ連軍によって解放されてから75年目の日に当たり、記念式典が行われています。

-BBC NEWS JAPAN 2020年01月28日 「アウシュヴィッツ解放75年、各国首脳が式典出席 反ユダヤ主義への対抗呼びかけ

これに先立ち、オランダの首相がホロコーストに関して「十分に保護せず、助けず、認識しなかった」ことを謝罪しています。

-BBC NEWS JAPAN 2020年01月27日 「オランダ首相、ナチス虐殺で初めて謝罪 ユダヤ人保護せず

個人としての積極的協力者は別として、国家としてのオランダはホロコーストを積極的に立案・推進したわけではなく、ドイツに占領されている状況下でホロコースト政策に抵抗しなかった責任を問われていたわけです。人道に対する犯罪の進行を看過したことが「謝罪するようなことはしていない」とみなされない。これが2020年以降のスタンダードとなってゆくでしょう。

日本の右派は世界中から「謝罪していない」事例を探し出しては謝罪しない理由にしてきましたが、その材料が一つ減ったことになります。

12月の戦争関連番組(その2)

続いて実際に見た番組について。

-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「つぐない BC級戦犯の遺言」

今年は日本軍の加害をテーマにした番組がほとんどありませんでしたが、この番組もまたBC級戦犯の“受難”、特に死刑になった戦犯とアメリカの方針転換により減刑された戦犯との対照的な運命が主題となっていました。殺された捕虜や裁いた側の視点からBC級戦犯裁判をとりあげた番組って、ほんとうにつくられませんね。

さて命拾いした戦犯の例としてとりあげられていたのが、西部軍事件の冬至大尉です(写真は番組に登場した遺族)。

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西部軍事件は『法廷の星条旗』でも検討の対象とされていましたが、同書を出した横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会の委員長だった間部弁護士も同事件の死刑判決の減刑についてコメントしていました。

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-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「バヤルタイ〜モンゴル抑留72年越しのさようなら〜」

シベリア抑留に比べてはるかに知られることの少ないモンゴル抑留の生存者に取材したという点で興味深いものでしたが、最近『週刊ポスト』に掲載された記事をめぐる騒動との関連でなかなか興味深いシーンがありました。

元徴用工の「日本人にはとても親切にされた思い出があります」といった“証言”をウリにしたこの記事について、韓国の MBC テレビが「証言を歪曲している」と批判する番組を放送した、というのです。

徴用工問題に関して『週刊ポスト』が信頼に耐える記事を掲載するかどうか大いに疑問ではありますが、いまは MBC の批判の当否については保留しておきます。ここでは、社会主義政権崩壊後に「マンホール・チルドレン」が急増したモンゴルで一時期孤児院を運営していた元抑留者の証言をとりあげたいと思います。

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抑留の被害者(この男性は抑留中に両足を失っています)がなぜモンゴルで孤児の支援を? と問われたのに対して答えている場面ですが、1枚目の証言と3枚目の証言を抜き出せば、まるで逆のことを言っているように思えます。

この元抑留者にしても元徴用工の男性にしても、非常に複雑な思いを胸に秘めているであろうことは想像に難くありません。しかしふつうの人間はマスメディアの取材をうけることなどなく人生をすごすわけで、そうした複雑な思いをカメラの前で理路整然としゃべる訓練など受けていないわけです。聞き手がどのような質問をするかによっても話し方は変わってくるでしょう。“証言の矛盾”なるものの多くはこれと同じようなケースなのではないでしょうか。

恨みは恨みとして、圧倒的な貧困を自分の目で見てしまった以上なにかをせずにはいられない……というのは、誰にでもできることではない一方で、そう特殊な心理というわけでもないでしょう。この男性は河村たかしのような“恩を仇で返す”論法に対するなによりの反証になっているということができます。

-NHK Eテレ 2019年12月14日(土) 午後11:00~ ETV特集「ある特攻隊員の死~祖母とたどる兄の最期~」

“兄は8月15日に特攻死した”と母から聞かされていた祖母。孫にあたるNHKのディレクターが大叔父の取材をはじめる……。また“特攻隊員の悲劇もの”ですか、という気持ちで見始めたのですが、実は大叔父は1945年の4月、菊水作戦開始の初日に出撃して戦死していたという事実が明らかになります。4月6日と戦死日が記載された戦死公報も実家から発見(ただし戦死公報が届いたのは46年3月)。祖母の母はすでに故人であるので、なぜよりにもよって“終戦後に出撃して戦死した”という物語を娘に話したのかは謎のままおわるのですが、戦没者遺族が家族の死をどう受容したのかについて、考えさせられる内容でした。

12月の戦争関連番組(その1)

はてなからメールが来て気づいたのですが、はてなダイアリーからはてなブログに移行してちょうど1年になるんですね。更新する頻度が落ちているせいもあるでしょうが、なかなかこのインターフェースに慣れません。

今年もアジア・太平洋戦争に関わるドキュメンタリーがテレビで放送されたときにはなるべく録画するよう努めていたのですが、読者の方からお知らせをいただいていたのに見逃してしまったのがフジテレビ系列の石川テレビが制作した辻政信についてのドキュメンタリー「神か悪魔か」です。関西テレビでは12月5日未明の2時50分から放送されたのですが、これを「5日深夜2時50分=6日未明2時50分」だと勘違いして録画予約が間に合わなかったためです。

なので番組サイトを見ていてちょっと思ったことを。番組ディレクターは次のように述べています。

戦争で命を落とした人々の無念を思えば、責任を逃れて生きた辻への批判はあってしかるべきだと思います。一方、これから戦争を語りつぐ上で、その責任が“個人”にばかり向けられていることに、私は違和感を覚えました。戦争の悲劇は、誰かがいたからではなく、誰も止められなかったから起きたと考えるからです。

しかし歴史学者アジア・太平洋戦争について書いた著作を読んでいると「その責任が“個人”にばかり向けられている」というのは当たらないのではないかと思います。歴史修正主義者からもっとも敵視されている歴史学者の一人は吉見義明さんでしょうが、吉見さんの本を実際に読んで「個人」の責任ばかりが追及されているという印象をうけるひとはまずいないのではないかと思います。笠原十九司さんの文章は吉見さんよりは“熱い”ですが、やはり特定個人の責任追及に主眼が置かれているとは思えません。

歴史学というのが「構造」の記述を目指しているのだとすれば、これは当然のことです。むしろ保守系の評論家が歴史について書くものの方がよほど「個人」を焦点化する傾向があるのではないでしょうか。歴史教科書についても右派の方が(批判ではなく顕彰のためという違いはあれど)個人の事績をとりあげるよう主張してきたはずです。

右派のクリーシェのひとつに「現在の価値観で過去を裁くな」がありますが、実のところ右派が好む歴史記述の方が「個人」を焦点化しているという点で「裁き」に親和的だろうと思います。そして歴史修正主義に対抗していくうえでの困難の一つは、「個人」に焦点化した歴史記述の方が一般受けする、という点にあるのではないか、とも。現にこの番組のタイトル「神か悪魔か」も辻という「個人」の評価を前面に出したものになっているわけで……。

 

wam「日本軍慰安所マップ」ウェブサイト公開開始

wam アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館の公式サイトにおいて、「日本軍慰安所マップ」が公開されました。マップだけでなく日本軍「慰安所」についてのイントロダクションと根拠資料も付属する力作です。

また、同じく wam のサイトで公開されていた「河野官房長官談話後に発見された日本軍「慰安婦」関連公文書等」が2016年にリニューアルされ「日本政府認定済公文書」と「日本政府未認定公文書」をあわせて閲覧できるようになりました。遅まきながらご紹介させていただきます。

 

はてなグループ「従軍慰安婦問題を論じる」ミラーサイト

年末でサービスを停止するはてなグループで運営されていた「従軍慰安婦問題を論じる」のミラーサイトが立ち上がった旨、id:kmiura さんよりお知らせをいただきましたミラーサイトこちらになります。永井和さんという専門家のご指導をいただきつつ市民が日本軍「慰安婦」問題について考え、議論をしていった貴重な記録を残していただいたことを感謝いたします。

 

再反論があるならさっさとすればいいのに

皆さんすでにご承知のとおり、映画『主戦場』の出演者のうちテキサス親父、ケント・ギルバート藤岡信勝藤木俊一(テキサス親父の中の人)、山本優美子の各氏がミキ・デザキ監督に対する民事訴訟を起こしました(訴状)。「Youtube の動画を無断で使用」などという主張は「引用である」で一蹴できそうですし、歴史修正主義*1などと言われて「名誉を毀損された」という主張は「論評である」で片付きそう……と、まあ無理筋な訴訟に思えます。原告の一人藤岡信勝と、原告に加わらなかった杉田水脈とが関わっている「新しい歴史教科書をつくる会」は、教科書刊行運動としてはもう完全に終わってしまっているので、こういうかたちで「運動」を続けるしかないのでしょう。

彼らの不満は煎じ詰めれば「最初に思ったような映画になってなかった」ということに尽きるわけですが、取材対象者のこうした不満に基づく損害賠償請求については、近年の判例でかなり高いハードルが設定されてしまっています。「女性戦犯法廷」についての ETV 特集をめぐって VAWW-NETNHK 他を訴えた裁判、およびチャンネル桜NHK スペシャルの「JAPANデビュー」シリーズをめぐって NHK を訴えた裁判。右も左も敗訴したこれらの裁判で、取材対象者の「期待権」にもとづく請求はいずれも斥けられたからです。

しかも、肝心要の有罪判決言い渡しシーンをカットされてしまった女性戦犯法廷関係者の裏切られ方に比べた場合、『主戦場』に出た右翼たちのクレームのは「自分たちの側が最後に話すように編集しろ!」というものにすぎないので、いじましいにもほどがあります。

 

訴状の中では「インタビューの順序」という見出しをつけて述べられているこのクレームがまったく正当性をもたないのは、次のような理由によります。

そもそも映画『主戦場』は、「慰安婦」問題に関してなにかしら新しい情報を掘り起こした映画ではありません。映画が含んでいる情報はほとんど全て、書籍やネット上のコンテンツの中に含まれていました。多くの観客の注目を集めたケネディ日砂恵氏の離反にしても、マイケル・ヨン氏と彼女がトラブっていたことはヨン自身がブログで暴露していましたから、まったくの新事実というわけではありません。

かといって、デザキ監督はジャーナリストを自称しているわけではないので、これはあの映画のマイナスポイントにはなりません。なにがいいたいかというと、あの映画で吉見義明氏や渡辺美奈氏などが語ったことは、監督を訴えた右派出演者たちにとって完全に予測可能なことでしかなかった、ということです。藤岡氏らは吉見氏らが語ることを先取りしてあらかじめ反論することができたはずなのであり、それをせずにかねてからの主張をただただ繰り返したのは自分たちの選択した結果なのです。

いまからだって「再反論」することはできます。"punish-shusenjo.com" などというこっぱずかしいドメイン名を獲得する暇があるのなら、さっさと再反論すればいいじゃないですか。それをしないのは……できないってことなんですよ。

*1:余談ですが、よく「歴史修正主義」という用語にクレームをつけて「歴史改ざん主義と呼べ」と主張するひとがいます。しかし「歴史改ざん主義者」と誰かを呼んだ場合、「歴史修正主義者」と呼んだ場合に比べて「事実の摘示である」と判断される可能性は高くなるような気がしますね。