朝鮮人鉱夫「賃金」の民族差別に関する李宇衍の主張の実態

日本軍「慰安婦」問題や「徴用工」問題に関しては、日本の右派メディアが積極的に主張を展開する一方、それに対する反論を主流メディアがほとんどとりあげない状態が続いています。李栄薫(編著)『反日種族主義』(文藝春秋)についても同様です。日本の右派メディアがとりわけ強調しているポイントの一つが、李宇衍が論文「戦時期日本に労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」で展開した、“朝鮮人炭鉱夫に対する賃金差別はなかった”という主張です。

差別現象の多くに共通するのは「制度上の建前」と「実態」との間に大きな乖離がある、ということです。これこそ先のエントリで私が「……のはずだ」「……のはずがない」論法として批判した歴史修正主義の手法に関わることです。“リンカーンが奴隷を解放したのだからそれ以降のアメリカに黒人差別は存在しない”と聞かされてそれを鵜呑みにする日本人はまずいないでしょうが、朝鮮人の強制動員については事情が違うわけです。朝鮮人炭鉱夫への差別が存在したかどうかを考えるうえでは「制度上の建前」ではなく「実態」をこそ見据える必要があるのに、前者を盾に差別を否定しているのが李宇衍らの議論なのです。

そうした批判は、主流メディアではほぼ完全に無視されているものの、すでに行われています。その一例として、「強制動員真相究明ネットワークニュース」の第9号(2017年6月19日)に掲載された「強制動員・北炭の給与明細書」(竹内康人)があります。

 2017年4月11日、産経新聞は「歴史戦・第17部 新たな嘘」で、韓国・落星台経済研究所の 李宇衍「戦時期日本に労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」、九州大学三輪宗弘の発言などを利用して、「韓国で染みついた「奴隷」イメージ、背景に複雑な賃金計算法、『意図的な民族差別』事実と異なる、韓国人研究者が結論」とする記事を出した。

 その記事には、朝鮮人の給与明細書の写真が掲載されている。その給与明細書の写真をよくみると茂山秉烈のものが多い。ここではこの給与明細書について記すことで、強制動員された朝鮮人の状況について考えたい。

 李宇衍や産経新聞が「一次資料」からなにをトリミングしたか、そしてその効果がどのようなものであるかは、これを読めば明らかです。

 

歴史修正主義の手法はどこでも同じ

ちゃんととりあげなければ、と思いつつ先延ばしにしているのが李栄薫らの『反日種族主義』(文藝春秋)です。とはいえ、先延ばしにしている最大の理由は、同書の内容に目新しいところがないことであり、単に内容だけを問題にするならば改めて批判するまでもありません。目次を見るだけでも、李栄薫らの主張が日本の右翼のそれ(例えば百田尚樹の『今こそ、韓国に謝ろう』など)と変わらないことは一目瞭然です。

そう考えると、版元サイトでの同書の紹介はちょっと笑えます。

本書がいわゆる嫌韓本とは一線を画すのは、経済史学などの専門家が一次資料にあたり、自らの良心に従って、事実を検証した結果をまとめたものであるということだ。
その結果、歴史問題の様々な点で、韓国の大勢を占めてきた歴史認識には大きな嘘があったことが明らかにされている。そしてそうした嘘に基づいた教育が何年も積み重ねられた結果、韓国の人々の多くは誤った歴史認識を正しいものと信じ込み、反日に駆られている。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/1639115800000000000H

他のヘイト本歴史修正主義本と差別化しようとして「嫌韓本」がデタラメだと暗に認めてしまっています。しかし「民族主義」の代わりにオレオレ定義の「種族主義」などという用語を用いる動機は明らかに学術的なものではなく、政治的なものです。

同書を見ていて「ああ、やっぱり」と思ったのは、日本の歴史修正主義者が好んで用いる「〜のはずだ」「〜のはずがない」論法が使われていたことでした。朝鮮人炭鉱労働者の賃金に関する李宇衍の議論などがその典型です。いくら「一次資料」を引き合いに出そうが、その解釈が政治的動機で歪められているのでは意味がありません。

“勝ち組”ランド、アゴラ

池田信夫「勝った、勝った、コロナに勝った!」とはしゃいでおります。考えていることはトランプと同じなのでまともにとりあう価値などありませんが。

もちろんこの方向性は「アゴラ」全体にみられるものですが、とりわけ篠田英朗の駄文はひどい。

狂信的な憲法9条教の信者たちは、冷静な憲法9条の解釈論に応じることすらしない。ただ、憲法9条を信じれば、必ず世界は平和になる、という計算式から議論を始める。そして憲法9条を信じない者がいるために世界は平和にならないという理由で、他人を非難する魔女狩りを始める。憲法9条は常に絶対に正しいという前提から出発すれば、期待した通りの世界が訪れないのは、すべて憲法9条を信じない連中がいるからだ、という結論しか導き出されない。

 『産経新聞』を購読していれば週に一度くらいは目にすることのできる右翼のクリーシェそのものであり、この男が「現実」ではなく「脳内ファンタジー」に立脚してものを語っていることがこの部分だけからもわかります。

真の「受忍論」へ

「ボーナスタイム」だった2月と3月、安倍政権や東京都がオリンピック、パラリンピック開催に執着したために無為に過ごしたせいで、ここへきて感染の拡大がすすんでいます。早くから「検査を拡大すると医療崩壊する」という主張が政権の対応を正当化してきた一方で、この二ヶ月間「医療崩壊」を防ぐための具体的な手立てがろくに講じられてこなかったという現実を前に、願望で現実認識を歪めた戦中の日本を想起したひとも少なくないようです。

現在焦点になっていることの一つは営業「自粛」に対する休業補償ですが、予想通り安倍政権は後ろ向きであり、東京都のように一定の支出を表明している自治体でも「協力金」という名目であって「補償」という用語は忌避されています。

理屈で言えば強制力のある休業命令ではなく「自粛要請」だから補償ではない、協力金だ、ということにはなるのでしょう。しかしこれは実は順序が逆であって、国や自治体の法的責任を明確にする「補償」を回避したいからこそ感染拡大予防の観点からは疑問符のつく「自粛要請」にとどめている……というのがこれまでの日本政府の態度から想像できる真相でしょう。

日本政府が国内の、民間の戦争被害に対する「補償」を徹底的に回避してきたことは当ブログの読者の方には周知の事実ですが、それを司法が追認するために持ち出したのがいわゆる「受忍論」、戦争被害は「国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」という論理です。本当に戦争被害を「国民」が「ひとしく」負担するのであれば、この論理にもうなずけるところはあります。しかし現実には階層や性別、地域、さらには単なる運不運により戦争被害の様相は様々でした。さらにいえば戦争被害は「国民」だけがうけるものでもありません。

同じことが新型コロナウイルス感染症についても言えます。事業が壊滅的な打撃をうける業種もあればある種の“特需”に湧く業種もある。テレワークに対応可能な職種もあればリスクのある対人接触を避けることのできない職種もある。戦争被害にせよ、パンデミックの被害にせよ、政府の不作為は「ひとしく」受任することを逆に不可能にするのであって、税金による補償や支援を行ってこそこの社会の成員が「ひとしく受忍」することができるわけです。

ニセモノの受忍論を本物の受忍論で上書きしなければなりません。そのためには安倍政権の不作為を決して「受忍」してはならないのです。

山川出版の中学教科書が「慰安婦」記述

本日、来年度から使用される中学校教科書の検定結果が公表されました。「つくる会」が先月、結果の公表前に自由社歴史教科書の不合格を発表したことで注目されていた検定結果です。

-産経新聞 2020年3月24日 「従軍慰安婦」の呼称復活 中学校教科書検定 自虐色強まる傾向も」

 一方、先の大戦をめぐる記述では、歴史で2社が慰安婦について説明。このうち新規参入の山川出版は「戦地に設けられた『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)」と記述した。「従軍」をつけた呼称は不適切との批判が強く、現在の教科書では使われなくなっている。

高校の教科書で有名な山川出版が新たに中学校の歴史教科書に参入したということ自体がニュース価値の高い情報だと思うのですが、もちろん産経の目のつけどころは違います。右翼のつまらない言い掛かりとは別に「従軍慰安婦」という呼称は支援団体も使わなくなっていますから、なんだったら「日本軍性奴隷」にしてもらってもいいんですけどね。

日本政府は河野談話を撤回していない以上、「慰安所」制度について記述すること自体を検定ではねるわけにはいかないはずではあるのですが、やはり学び舎という先例があったことで山川もとりくめた、ということかもしれません。具体的な記述など確認できましたら、また改めてご紹介したいと思います。

 

 

『戦史叢書』がオンライン公開中

何年か前に『戦史叢書』(防衛庁防衛研究所戦史室)をオンライン公開する計画のニュースを読んでいたのですが、最近は『戦史叢書』を参照しなければならないような記事を書いていなかったこともあり、それっきりになっていました。先日、ふとしたことから実際に公開されている(2018年6月に開始、その後随時追加)のを確認しました。こちらのページの「戦史叢書の検索・閲覧はこちら」というリンクから検索、閲覧ページに移ることができます。

『戦史叢書』については補備6巻を除く全96巻が完結した段階で藤原彰さんが『歴史学研究』第451号(1977年12月)に書評を書き、「作戦参謀の立場から書かれた作戦史という面がきわめて強い」としています。他に否定的な評価として「個々の作戦の記述は詳しいが、相互の関連と全体の中での位置づけがあまり行われていない」「旧軍の陸海軍の対立をそのまま持ち越したかのよう」ともされています。その一方で「旧軍戦史よりははるかに多面的」「戦争を様々な角度から記録しようとしていることが伺える」とも評価しています。

旧軍出身者が編纂や執筆に関わっていることからくる弁明を度外視しても、その後に発見された史料や証言によって内容的に古くなっている点は多々あるでしょうが、1960年代から70年代にかけて、旧軍出身者があの戦争をどう捉えようとしていたかを理解するうえでは、いまなお価値のある戦史と言えるのではないでしょうか。

「特攻」関連本2冊

まずは前回の『ノモンハン 責任なき戦い』同様に NHK スペシャルをベースにした大森隆之『特攻の真実 なぜ、誰も止められなかったのか』(幻冬舎文庫、2018年)。番組タイトルは「特攻 なぜ拡大したのか」(2015年8月8日放送)。

まず言っておかねばならないのは、この本を幻冬舎から出したのは明らかに不見識だ、ということ。同社は小林よしのりの『戦争論』や小川榮太郎の『『永遠の0』と日本人』などの版元でもある。NHK スペシャルを基にした本、しかもテーマが「特攻」であれば他にいくらでも選択肢はあったはずで、読んでいる間中「なぜ?」という疑問が頭を離れなかった。

また近年、特に右翼的というわけでもない書き手の書いた本を読んでいても歴史修正主義の浸透っぷりを感じさせられることが少なくないのだが、本書もまた同じだった。小学生時代に4年間アメリカで過ごしたという著者は、日本帰国後に感じたこととして「「国家」「軍隊」「軍人」は、毎年八月に、声をひそめながら語るものだった」としている。これ自体右派の言説によく出てくるクリーシェであるが、これに続けて著者はこう言っている。

(……)八月になるとテレビ各局で流れる「声をひそめた番組」も欠かさずに見た。アジア諸国を食い物にした欧米列強の帝国主義の歴史を知り、「アジアの解放」を大義名分に掲げながらも、やがては欧米諸国と同じ穴のムジナとなり、結果アジアの人びとに多大なる犠牲を強いた軍国日本の悲しい歴史を学ぶなかで、いつしか、戦争の当事者たちから直接話を聞きたいと思うようになった。(……)

(電子版、リーダーの表示で3.9%)

これは日中戦争と植民地支配への視座を欠いた歴史像であり、2015年の安倍談話のそれと対して違わない。「大東亜共栄圏」などといい出した時には大日本帝国はとうに「欧米諸国と同じ穴のムジナ」だったことは当ブログの読者の方であればよくご存知であろう。

とはいえ「さすが NHK の取材」と思わせるところはある。例えば1945年6月12日に作成された「決号作戦に於ける海軍作戦計画大綱」とその附属統計書から海軍の見通しの甘さを剔抉した点(65.4%〜66.2%、同前)。約1,500隻と見積もった米軍輸送船の半分を撃破できるという軍令部総長豊田副武の大言壮語をもっともらしく見せるためにでたらめな見積もりをした軍官僚たちが、いまの霞が関と重なって見える。特攻への過大な期待が結局は降伏を遅らせたことも説得的に明らかにしており、特攻擁護の俗論への明確な批判となっている。

また複葉練習機の「あかとんぼ」(93式中間練習機)まで特攻につぎこんでいたことは比較的よく知られていると思うが、偵察員の機上作業の訓練機「白菊」による特攻部隊まで編成されていたことは本書ではじめて知った。爆装すると最高速度は時速 180 キロほど、急降下からの機体引き起こしが困難なため急降下訓練を一切行わずに出撃した(56.5%)とのことである。

 

もう一冊も NHK スペシャルと縁のある本。2009年に放送された「日本海軍 400時間の証言」で紹介された「海軍反省会」。その書き起こしから「特攻」に関連する部分を集めて編集した戸髙一成『特攻 知られざる内幕 「海軍反省会」当事者たちの証言』(PHP新書、2018年)。こちらも版元は歴史修正主義レイシズムをビジネスにしているところだが、編者が編者なので期待するだけ無駄か、と。

「反省会」に参加するような元軍人たちであるから、比較的には旧軍に対して批判的な視点をもっているひとたちなのだろうし、「作戦」としての特攻は否定されるべきだということは当然のようにコンセンサスにはなっている。それでも当時の日本社会における「特攻」批判には敏感に反応し、その「戦果」を強調しようとしているあたりは興味深い。

本書に収録されている発言の多くは参謀として自らも「特攻」に関わった鳥巣建之助のもので、それに対して他の参加者がコメントしたり質問したりという流れになっている。やはり旧海軍を突き放してみているという点で大井篤は他の参加者より一枚も二枚も上だな、という印象を持った。