顧維釣代表が行なった演説はなにを明らかにし、なにを明らかにしないか

「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」メンバーにして、『週刊新潮』が鳴り物入りで報じた(しかしその実旧聞に過ぎなかった)「中国政府の顧維釣代表が行なった演説記録」の重要性を根本的に勘違いしているのではないかと思われる衆議院議員(自民)、戸井田とおるセンセイのブログ「丸坊主日記」の「一次資料がこまるのか、日本の記者」「朝日の薬師寺論座編集長、赤面!」。記者だからといって、また『論座』の編集長だからといって南京事件(およびその論争史)に詳しいとは限らないわけで、いきなりディテールに関わる質問をされて答えられなかったからといって鬼の首でもとったかのようにはしゃぐのは大人げないのでは?


だいたい、「中国政府の顧維釣代表が行なった演説記録」をひきあいに出して「一次史料を精査する必要性を記者の皆さんに再度述べました」というのもおかしなはなしです。「中国政府の顧維釣代表が行なった演説記録」は1937年末から38年初頭にかけて南京およびその周辺でなにが起こったか、についての直接の資料じゃありません。中国政府が当時「1937年末から38年初頭にかけて南京およびその周辺でなにが起こったか」についてどのような認識をもっていたか(しかも国際社会に訴えうる材料としてなにを把握していたか)、を示すに過ぎません。中国政府は当時既に南京から撤退していて南京の実情を直接知りうる状況にはなかったわけです。こんなものをひきあいに出して「せいぜい2万人くらいしか殺害されていないのだ」などと主張することが可能なら、1980年代の日本政府の認識をひきあいに出して「北朝鮮による拉致などなかった」と主張することが可能になってしまいます。「一次史料」の重要性を強調されるなら、もちろんのこと旧軍や旧軍関係者が残した当時の文書(戦闘詳報、陣中日記など)も戸井田議員は重視されることと思いますが、そうした史料に記載されている捕虜の殺害数を合計するだけで2万人をはるかに超えるんですけどね。