恐ろしい経営学者?

先日は相続税の廃止を主張するために、相続税の存続を支持する者を“ポル・ポト呼ばわり”した“恐ろしい英文学者”を紹介しましたが、もちろんこれは孤立した事例ではありません。小沢健二を“ポル・ポト呼ばわり”したひともいます。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070623/1182580528
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070702
そう、他ならぬ福耳先生です。ああ恐ろしい! しかし・・・ここで「人類史上の悲劇を声高に連呼して、見世物にして楽しんでる」とか「大きな話に飛躍」とか「他人をポル・ポト呼ばわり」とか「小沢健二クメール・ルージュじゃない」とか「分からない」「接点が見つからない」「拙はあたまがわるいですから」とか言って、福耳先生への反論になりますかね? HALTAN基準ではそれで十分のようですが(けどきっと、今度も福耳先生はウッカリしていただけなのでしょう!)、私はそうは思わないわけです。要するに、そういうことです。
なんでか知りませんが、経済学とか経営学に関してはその「真髄」を学ばなければ「ナイーブ」だとか「地獄への道は善意で・・・」とか、さらには「ポル・ポト」とか言われてしまうのに、ホロコーストについて新書一冊読めば分かる(文字通り、私は一連のエントリにおいて新書一冊読めば分かることしか持ち出さずに論じています)ことすら「衒学という脅し」だの「オタクネタ」といって理解を拒絶されてしまうんですね。福耳先生や渡部昇一センセイの「ポル・ポト」は「オタクネタ」でないという理由はきっとあるのでしょう、HALTAN氏にとっては。けど「面倒」だから hokusyuさんの文章をコピペする以上の説明はしてくれないんだろうなぁ。


なお「トリアージ批判が分からない」とか「ホロコーストというたとえがおかしい」とか言ってるひとは前提からして間違ってますから、出直しましょう。


追記
IDコールをいただきました。
地下生活者の手遊び 「ホロコーストへのタグ貼り

ホロコーストを否定してみたところで社会的な生命を失うわけではない(『マルコポーロ』は確かに廃刊になりましたが、その編集長は朝日新聞社角川書店の雑誌編集者を経て現在『WiLL』の編集長を務めていることはご存知の通り)日本社会で「ホロコースト産業」というフレーズだけが一人歩きすることの危険性に注意を喚起したうえで言えば、HALTAN氏らが本気でホロコーストの「唯一性」を「聖化」しているならまだマシだと思うんですよね。主観的には誠実であるわけですから。しかし実際には、「俺達とは関係ねーなあ」という理解を正当化するために利用してるだけでしょう。「ポル・ポト」を「声高に」「連呼」する論者には決して同じ態度をとらないのがそのなによりの証左です。