粟屋憲太郎、『東京裁判への道』(上・下)、講談社選書メチエ

1983年のシンポジウム「『東京裁判』国際シンポジウム」に参加して以来米国などで東京裁判関連資料の発掘にあたってきた著者が、1984年から『朝日ジャーナル』(!)に「東京裁判への道」というタイトルで連載していた原稿をもとに、その後発掘された新資料を活用して20年後に単行本化したもの。選書にあるまじき(笑)二分冊である。先月上巻が刊行され、つい先日下巻が刊行された。なお、過去に2冊の共著において著者は「東京裁判への道」というタイトルを使用している。


東京裁判については(本書が取り組んでいるような法廷外での動きまで含めれば)いまだ全貌が明らかになっているとは言えず、さらによく知られないままに「勝者の裁き」といったイメージだけが先行していることが、不毛な議論のはびこる原因となっている。今日、東京裁判に一点の瑕疵(手続き、事実認定の両面で)もないなどと主張している人間は実質的に存在しないのに、「東京裁判史観」などということばが一人歩きしているのがその一例である。本書は、そのタイトルからもわかるように、被告の選定プロセスを主とする公判開始前の段階に的を絞った研究だが、法廷外の各国(日本を含む)の動きを理解すること抜きには東京裁判についての歴史的な評価は下せない。選書というアクセスしやすいフォーマットでこのような研究成果が公表された意義は大きいと思われる。
本書で繰り返し指摘されているのは、連合国側にとって裁判を早急に終結させることが大きな関心事であったこと、またマッカーサーが国際裁判という形式を望んでいなかったこと(アメリカ単独での軍事裁判を望んでいた)、である。いずれも、東京裁判=勝者の復讐という見方の底の浅さを示していると言えよう(ただ復讐がしたかったのなら、連合国側には他にいくらでも手段があったのである)。また被告選定は法廷の被告席の数にあわせた恣意的なものだった、という俗説が明確に否定されている。
個人で一章を割かれているのは木戸幸一と田中隆吉の二人で*1、その第4章、第6章が上巻の山場である。改めて確認されるのは、東京裁判アメリカ(を主とする連合国)と日本の支配層との「合作」であったことだ。特に被告の選定や証人の推薦に関して田中が検察側に及ぼした影響は大きい、とされている。先日、古書店で大月書店の『東京裁判史料 田中隆吉尋問調書』をみかけて買おうかどうか迷っているうちに誰かに先を越されてしまったのだが、こんなことなら買っておけばよかった、と後悔。日本についての知識が十分あったわけではない検察側にとって、木戸・田中の二人の協力は非常に重要であり、この二人なくして現にあったような東京裁判はなかっただろうと考えられる。もちろん、二人が積極的に協力した動機の筆頭は「天皇の免責」であった。


上巻では東京裁判の大まかな枠組みが決まるまでのプロセスが描かれているのに対して、下巻では誰が何について起訴されたか(起訴されなかったか)を決した、被告選定プロセスが詳細に語られている。戦犯リストに公式にヒロヒトの名前を載せていたのがオーストラリア一国だけだった、ということが明らかにされている。アメリカがもともと天皇を免責するつもりだったことはよく知られているが、当時の人びとが思った以上に天皇制は安泰だった、ということになる。また、中国大陸での細菌戦がアメリカの意向で免責されたことは周知の事実と言ってよいと思うが、毒ガスの使用(イペリット等致死性のガスを含む)についても検事団は相当厚みのある証拠を入手していたとされている。いくつかの事例では、戦争中から米軍が調査を行なっていたのである。おまけに、検察側は毒ガスの実戦使用を示す日本軍の資料も入手していた*2。これがきちんと裁かれていれば、南京事件ばかりが中国における日本軍の戦争犯罪のシンボルとして消費される事態にはならなかったと思うのだが、結局は細菌戦同様「政治的判断」により免責された。この免責に中国政府が同意した理由はまだ不明とのこと。
下巻の後半では被告選定プロセスにからんでA級戦犯容疑者たちへの尋問の様子が紹介されているが、特に面白いのが笹川良一と真崎甚三郎についての記述。詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいが、両名への手厳しい評価が下されている。また、文民として唯一絞首刑になったということでよく議論の的となる広田弘毅については、検察側にとっても死刑判決は意外だったろうとされている。「戦争犯罪のさまざまな側面を代表するような人物を被告に選ぶ」という執行委員会の要請が、文民代表として広田をクローズアップすることになった、ということであろう。著者も、尋問に対する広田の陳述は「おおむね正確」であり「他人への露骨な責任転嫁もない」と評価している。


発掘した史料の紹介に主眼がおかれ、東京裁判歴史的評価という問題についてはかなりあっさりと片付けられているのだが、これは本書の射程を超える問題というべきであろう。それでも、被告(訴因)の選定プロセスをみるかぎり「勝者の裁き」だけでは片付けられない、という著者の主張は説得力を持つ。

*1:近衛文麿も第3章のタイトルに名前を連ねているが、近衛の自殺後の側近たちの動きが主たる記述の対象であって、近衛自身の言動にまるまる一章が割かれているわけではない

*2:一九四二年一一月三日付けの序文のある、陸軍習志野学校案、『支那事変に於ける化学戦例証集』。