岩波『世界』8月号

「八月ジャーナリズム」という言葉がありますが、月刊誌『世界』(岩波書店)の8月号は普段よりもアジア太平洋戦争に多くのページを割いていました。

まずは倉沢愛子さんの「それは日本軍の人体実験だったのか? インドネシア破傷風ワクチン“謀略”事件の謎」。1944年8月のジャカルタで、七種混合ワクチンを接種された「ロームシャ」から破傷風を発症するものが現れ、判明しているだけで300人以上が亡くなったという事件。日本軍は謀略を疑って捜査を行い最終的に医師一名を死刑に、またもう二名を獄死させたが、“自白”は強要された疑いが濃厚とのこと。筆者の仮説は南方軍防疫給水部によるワクチン開発の失敗が原因というものだが、ならばなぜタイトルに「人体実験」とあるのか。一つには海軍軍医部が破傷風ワクチン開発のために人体実験を行っていたことが戦後の戦犯裁判で明らかになっていること。もう一つはあの帝銀事件で捜査線上に上った松井元軍医がバンドゥンの陸軍防疫研究所で医務部長を務めていた経歴があったということ。帝銀事件の捜査過程で「松井がインドネシアで「土人」二百数十名を注射で死に至らしめた」という噂を警察が把握、本人もスマトラの第二五軍軍政監部勤務時代に「過失」で死に至らしめたことは認めた、ならば陸軍防疫研究所時代に同様のことをやっていても「不思議ではない」、という次第。

他に井上志津さん(元毎日新聞記者)による「ある中国人残留婦人への悔恨の記録」、笠原十九司さんによる文献紹介「日中戦争ー新たな民衆の記憶と記録の発掘」。笠原さん自身が編者でもある小林太郎『中国戦線、ある日本人兵士の日記』(新日本評論社)、芳井研一『難民たちの日中戦争』(吉川弘文館)、朴橿『阿片帝国日本と朝鮮人』(岩波書店)の三冊が紹介されている。

「黒い雨」訴訟、高裁でも原告勝訴

digital.asahi.com

アーカイブ

この問題について最初に書いた記事がこちらになります。もう12年前ですね。それ意向、4回ほどとりあげています。

「黒い雨」の範囲に関して新説 - Apeman’s diary

「黒い雨」に関する調査資料の存在、明らかに - Apeman’s diary

「精神的ケア」という欺瞞 - Apeman’s diary

「科学的合理性」と「政治判断」 - Apeman’s diary

民主党政権時代にも救済の範囲が広げられず、今回の広島高裁の判決に至ったことになります。

 

日本統治下台湾の捕虜収容所

BBC NEWS のサイトに日本統治下の台湾で連合軍の捕虜を収容していた収容書に関する記事が掲載されています。

www.bbc.com

www.bbc.com

在台湾のカナダ人歴史家マイケル・ハースト氏が20年かけてすべての収容所の位置を特定。公文書、戦犯裁判の記録、元捕虜や元監視員の証言から「本物の奴隷労働収容所」の実態を明らかにしたとのこと。

台湾にあった日本軍の捕虜収容所のことは私も不案内でしたが、元捕虜たちの多くが自国政府から口止めされていたこと、またトラウマ的な体験を家族にも話さなかった元捕虜がいたことが指摘されています。

ハースト氏が設立した Taiwan PIW Camps Memorial Society の公式サイトはこちら

 

 

「帝銀事件と日本の秘密戦」講演会

『帝銀事件と日本の秘密戦』(新日本出版社)の著者、山田朗さんによる同名のオンライン講演会が開催されます。

www.meiji.ac.jp

ふつうであれば首都圏で開催されたであろう講演会を上京せずとも視聴できるのは、コロナ禍のせめてもの救いといったところでしょうか。

なお弁護団による再審請求進捗状況の報告もあるとのことです。この第20次再審請求にあたって浜田寿美男さんが書いた鑑定書をもとにした『もうひとつの「帝銀事件」』についてはこちらを御覧ください。

 

連載「慰安婦がいた時代」

昨年は(いまも、ですが)図書館の利用も制約を受けたのでチェックするのが遅れていたのですが、『世界』(岩波書店)の2019年8月号から始まっていた佐藤純氏(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)の連載「慰安婦がいた時代――新資料とともに改めてたどる」が2020年の5月号で完結していました。

「新資料」として目を引くのは、筆者自身が古書店で入手し第7回で紹介している「美濃部資料」、日中戦争に従軍した軍医が残したと思しき資料です。1938年7月の時点で、第22師団軍医部長が中支派遣軍「管下」にある「特殊慰安婦人」が約2,000人だったと述べたという記述や、中支派遣軍がこれまで未発見の「慰安所」に関する内規を作成していたことを伺わせる記述があるとのことです。

またラムザイヤー・ハーバード大教授のせいでまたぞろリピートされている「慰安所公娼制の戦地版」と言った主張との関係で興味深いのが第2回、第3回です。第2回では1930年代はじめに内務省官僚が当時の公娼制の実態を厳しく批判していた事例が紹介されています。日本軍「慰安所」が「公娼制の戦地版」なのだとすれば、それこそが性奴隷制であったという根拠になるわけです。

最終回(第8回)では主計将校が南太平洋ティモール島での体験を戦後に戦友会誌に連載したものが援用されています。ジャワ島スラバヤで「食堂のウエイトレスとして募集」しておきながら、その後事実上将校用の「慰安婦」にさせられていたと思しき10代半ばの少女たちを、前任者が「これがヤマコ、テルコ、ハナコ……」と紹介した、とされています。『帝国の慰安婦』では朝鮮人慰安婦」に日本風の名前をつけたことをもって“日本人として扱われていた”ことの根拠としていましたが、相手がインドネシア人でも同じことだったわけです。単に日本人にとって覚えやすいということが理由なのでしょう。現代のフィリピン・パブ等でも同様なことがあると聞き及びます。

 

山田朗さん講演会情報

新宿の国立感染症研究所の敷地内(陸軍軍医学校跡地) から多数の人骨が発見されたことをきっかけに活動を始めた「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」が「むさしの科学と戦争研究会」とともに主催する講演会の情報です。

 

『歴史評論』21年5月号

歴史評論』(歴史科学評議会)の2021年5月号が「ひとびとの歴史意識に向き合い、疑問に答える」と題する特集を組んでいます。歴史科学評議会はラムザイヤーの日本軍「慰安婦」問題否定論を批判した「新たな装いで現れた日本軍「慰安婦」否定論を批判する日本の研究者・アクティビストの緊急声明」を出した団体の一つです。特集のねらいはもちろん歴史修正主義批判です。

 しかし、意図的に歪曲された歴史像、学術的成果を無視して拡散されている情報も少なくありません。特にインターネットの普及で、近現代史をめぐるいくつかの論点については、その傾向が強くあらわれています。こうした状況は歴史学研究の担い手にとって放置できないのであり、書籍やマスメディアをつうじて研究成果にもとづいた歴史像を提供し、また、ひとびとの歴史に対する関心や疑問にこたえなければなりません。

http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

図書館を利用するのが困難な情勢ではありますが、ぜひご覧頂きたいと思います。南京事件については伊香俊哉氏が、またホロコースト否定論については武井彩佳氏が寄稿されています。